今日は宇賀神先生と佛さまの一番初めの出会いについてお話ししましょう。
宇賀神先生のご記憶の中にございます、一番初めの出会いです。
それは宇賀神先生が、小学校3年生(多分)のときでした。
以前にも少しお話しましたが、先生はご両親の愛情一杯に育たれた、とは言いきれないような少年時代でした。
先生が小学校3年生くらいのとき、お父様とお母様が離婚なさった関係で、1年とちょっとの間ですが、孤児院に入っておられました。
栃木県・宇都宮市にございます、下野三楽園(しもつけさんらくえん)という孤児院です。
そこは、日光山輪王寺(にっこうさん・りんのうじ)の経営なさる孤児院だそうで、日光山輪王寺は、天台宗のお寺さんです。
お寺さんの経営でしたので、孤児院の方でも毎朝お勤め(勤行=ごんぎょう・お経を読むこと)があり、そこで暮らす子供たちもそれに参加しておりました。
ご本尊さまは、薬師如来さまでした。
ところで、子供の頃の宇賀神先生は、今で申しますところの“学習困難児”でした。
その頃は学習困難児という言葉もなく、宇賀神先生がおっしゃるには、
「担任の先生の机の上にポンと置いてあった学籍簿には、わしのことは“異常児”って書いてあった。」
そうです。
ちょっと信じられるような?、信じられないような。
ですが、当の宇賀神先生ご本人が、
「わしは小さい頃、口をポカーンと開けている“おバカのやっちゃん”だったから。」
とおっしゃっています。
その宇賀神少年に、いつの頃からか朝のお勤めが始まりますと、とても綺麗な光の雲が、すぅーっとお薬師さまの頭の中に吸い込まれていくのが、見えたそうなのです。
やはり口をポカーンと開けて、その光の雲を目で追っていたのでしょうね。
ある日、孤児院の園長先生(この方もお坊さんだそうです)が尋ねられました。
「やっちゃんはいつもお勤めのときに上を見ているけど、何か見てるのかい?」
と。
宇賀神少年は正直に、
「お経が始まると紫と金色にピカピカ光る雲が、佛さんの頭の中に入っていくのが見える。」
と、答えました。
園長先生は驚かれ、“おバカのやっちゃん”と周りから馬鹿にされておりました宇賀神少年に、こう告げられました。
「それはすごいねー。
先生もその佛さまの光が見たくて何年もお修行したけど、ついに見えなかったんだよ。
やっちゃんに佛さまの光が見えるなんて、先生はうらやましいな。」
と。
宇賀神少年の「夢でも見ているのでは?」と普通なら笑ってしまいますような言葉を、園長先生は笑われませんでした。
そして、「先生はやっちゃんがうらやましいよ」とまでおっしゃってくださいました。
宇賀神少年の言葉を真摯に受け止めてくださった園長先生の愛情が、ありがたいですね。
もちろん宇賀神先生はそのとき本当に紫と金色に光る雲をご覧になっていました。
大人になりましてから分かったことですが、お薬師さまは別名、瑠璃光如来(るりこうにょらい)さまとも呼ばれていらっしゃいます。
瑠璃色、つまり、紫色を帯びた濃い青色、の光の佛さまと書きます。
先生がご覧になった、光の雲と同じ色ですね。
その光が見えたからと申しましても、また、園長先生がうらやましいな、とおっしゃってくださいましても、宇賀神少年にはそれが一体何を意味しますのかは、あまりよく分からなかったようです。
ですが後年、大人になりましてから紆余曲折の末やはり佛門に入られたわけですから、小さな頃から本人の気づかないところで有り難いご縁をいただいていたのですねぇ。
ちなみに、その光が見えたからかどうかは分かりませんが、園長先生から宇賀神少年のお父様のところへ、
「やっちゃんを出家させるおつもりは無いですか?」
との問い合わせがあったそうなのです。
残念ながらそのときお父様は
「まがりなりにも宇賀神家の長男ですから、出家させるつもりはありません。」
と断られたそうです。
宇賀神先生は、
「もしあのとき親父が園長先生の申し出を受けていたら、わしは今頃天台宗の高僧だったのに!」
と、いまだに残念そうにおっしゃいます。
私は、「いえいえ、高僧かどうかは別問題ですよ」とは、ちっちゃい声で言いました。
合掌