今日は宇賀神先生からのご伝言です。
どうして前世などに心囚われない方がいいのか、ということにつきまして。
宇賀神先生いわく、
「それはね。
例えば前世ですごい大金持ちで、全ての財産を金塊にしてここに埋めた、って覚えていたとするだろ?
そしたらどうするの?
きっと現代だとその上にビルでも建ってて、
『僕が前世でここに埋めた金塊を掘り出したいんだ!このビル邪魔だ~っ!』
とでも言うの?
そんなの無意味だし、頭おかしいって思われるのがオチだろ。
だから気にしない方がいいんだよ。」
ですって。
なんだか、宇賀神先生らしい(単純)明快な例えですが。
とにかく、こういうことらしいです。
昨日もお伝えしましたが、例えば見えてしまった霊や過去生を気にしないためのコツは、
「ただ目の前を通り過ぎる景色のように見るだけ」
です。
電車に乗っておりますとき、車窓の外を流れていく景色を眺めますように、執着もせず、否定もせず、ただ、流します。
ただ見えましたこと、聞こえましたことを
「あっ、そう。」
とだけ、受け流します。
これは瞑想しておりますときに浮かんでくる雑念の対処法と同じかと思われます。
座禅を組むなどして瞑想しますとき、初めは心に色々なことが思い浮かんできます。
今日のお昼ご飯は何を食べよう、とか、あの用事を片付けなきゃ、とか。
ですが、心に浮かんできます様々なことを、「心を無にしないとダメだ。」などと否定しなくてもいいのだそうです。
否定しますと、かえって執着を生んでしまいます。
そうではなく、ただそれらのことを、窓の向こうに流れる景色のように見ては手放していく。
そうしておりますうちに、ふと心が無になる瞬間が訪れるのだそうです。
またこれは、不安が強い方の、心を安らげるためのイメージ法にも似ていますね。
不安と申します感情も、ある程度は人間にとりまして必要なものですが、それが大きくなりすぎますとかえって押しつぶされるように一歩も動けなくなってしまいます。
そんなときに、あるイメージを思い浮かべると効果的なのですって。
そのイメージとは、
「笹の小舟を折り、その上に自分が不安に思っていることをのせて、川にそっと浮かべて流していく」
というものです。
これは、宇賀神先生が高校生のとき、佛教系の高校に通っていらしたのですが、そのときの学校の先生(実際にお坊さんでいらした方)に教わった方法です。
また、同じことを最近のNHKさんのテレビでもしていました。
ご自身で抱えておられます不安に気づかれましたら、それを
「こんな不安を抱えている自分はダメだ」と否定するのでもなく、
「大変だ~!」と執着するのでもなく、
「自分にはこんな不安があるのだなぁ」と、笹の小舟にそれをのせてあげて、そっと川に浮かべて流して(手放して)いく、という情景をイメージするのだそうです。
テレビの番組の中でとても不安の強い方達にこのイメージ方法を試していただいたところ、たしか2週間ほどでしたか、正確なことは忘れてしまいましたが、強い不安に襲われなくなったそうです。
この、色々とこだわってしまいがちなことを、「ただ、目の前を通り過ぎる景色のように見るだけ」と申します方法は、心軽やかに生きるコツかも知れませんね。
宇賀神先生は、よくこういうものの見方をなさいますので、自称・街中仙人(まちなかせんにん)として、飄々として楽し気に生きておられるのでしょうか。
ですが、もしも私でしたら、万が一前世で埋めた金塊を覚えておりましたら、やっぱりめちゃくちゃに執着してしまいそうですねー。
なんとしても手に入れたいと思っちゃう。
ドリルで掘り出しますか?
まだまだ修行が足りんということですね。
あと、これは、宇賀神先生がおっしゃっていたのですが、
「最近の人は笹舟の折り方を知らないんだよー。」
って。
実は私も知りません。
ジェネレーションギャップとか申します、あれですか。( ̄∇ ̄)
そんな美しい遊びができます小川が、私が生まれましたときにはもう近所になかったのですねぇ。
先生の世代の方のご記憶には、美しい日本の風景もいっぱいあるのでしょうね。
今日は、宇賀神先生からのご伝言でした。
合掌