ごめん、前世を思い出しました。

今年の5月17日のブログで、「前世の因縁?忘れちゃったもーん!」というお話をいたしました。

ごめんなさい。

先に素直に謝ります。

実は宇賀神先生は、ご自身の前世を覚えてらっしゃいます。(私は前世を覚えておりません。それは事実です。)

 

ただ宇賀神先生は人様にたいして、前世などと申します不確かなことに心囚われて人生を生きてほしくないと思われ、あるいは自分自身は囚われるつもりはない、と常々おっしゃってますので、5月にはそのように書きました。

ところがつい最近、先生がひとつ前の前世だけでなく、もうひとつ前の前世まで思い出してしまわれました。

ですので、これはちょっと、皆さんにもお伝えした方がいいのかなと思いまして、こうして書くことにいたしました。

 

宇賀神先生は、ひとつ前の前世に関しましては、わりと明確に覚えてらっしゃいました。

勉強会でも何度もそのお話をお聞きしましたし、私との縁も、その時にあったようだとは(これは私だけ)お聞きしています。

ですが、さらにもうひとつ前の前世につきましては、本当につい先日、思い出されました。

 

例えばそのような前世に関することを思い出しますときや、神様佛様のお声をお聞きしますときなどは、ちょっと普通の意識状態とは違うようなことがあります。

もちろん宇賀神先生の場合は、見た目にも明らかな、いわゆる「トランス状態」などというわけではありません。

ただ、そのときにお話なさいましたことを、後になってあまり覚えてらっしゃらないことの方が多いのです。

先生はよく、

「変性意識に近い感じだからか、覚えてないんだよ。」

と、おっしゃいます。

 

ですので、神様や佛様にお聞きしたことなど、宇賀神先生がお話になりますと、私が覚える役目をします。

遥か昔(古代くらい?)で申しますところの、審神者(さにわ・神さまのご神託を受けている巫女の通訳をする人)といった役どころでしょうか。

神様とお話をしております巫女は変性意識下にありますので、理性を保っております審神者役の人が巫女と相談者との間に立ち、論理的に道筋を立てて解釈し、結論を導きだし、通訳したそうです。

 

さて、夜に寝かかっておりますお布団の中で、突然その前世の前世を思い出された宇賀神先生、横におります私にそのことを告げられましたが、翌朝にはすでに内容を忘れておられました。

「あのね、昨日言ったこと覚えてる?」

と、翌朝尋ねますと、

「ああ、なんか、そんなこと言ったけど、あんまり覚えてない。」

と、おっしゃいました。

別に寝ぼけてらしたわけではありませんよ、念のため。(^-^;)

 

宇賀神先生の面白いところは、

「どんな過去生やったか聞きたい?」

と私が尋ねましても、

「別に知らなくていい。」

と、おっしゃるのです。

 

なぜでしょうねぇ。

 

それを知ったからと言って、何かが変わるわけでもないから?

過去のことはどうにもならないから?

それとも、今世がややこしくなるから?

 

とにかく、「別に改めて思い出さなくてもいい」と先日以来、宇賀神先生は私にその内容を尋ねておられません。

ですので、私もあえて宇賀神先生にお伝えしていません。

私だけの秘密ですね、今のところ。

 

退行催眠までして前世をお知りになりたいと思われる方もいらっしゃいる世の中ですのに、ご自分で勝手に思い出しちゃった前世に強い関心を示さないなんて、私からしましたら、ちょっと変わったお考えですね。

いえ、勝手に思い出されること自体、変わってらっしゃいますけど。

 

まあ、ですが、このように、宇賀神先生はあんまり霊だの前世だのに心囚われないのです。

思い出しちゃった前世は仕方がないけど、それもただ目の前を通り過ぎる景色のように見られただけで、だからどうするとかは、あまりありません。

囚われない心。

それが大事ですね。

 

と、申しますことで、今日は

「前世なんか関係ないよ、って申しましたが、実は先生は2つも覚えていらっしゃいます、ごめんなさい。でもやっぱり、前世などに心囚われない方がいいですよ。」

というお話でした。

 

合掌