宇賀神先生が宿をチェックアウトしようとなさいましたとき、自分達も治してほしいと、宿泊なさっている全ての人かと思われます方達がぞろぞろと出て来られ、先生に頼まれました。
「あの足の悪いおじいさんが治ったんだ、わしらのことも治してはもらえんだろうか。」
ですが宇賀神先生は明日からまた会社に行かないといけません。
「わしは明日から仕事があるから、帰らねぇと。」
と、言いますと、
「失礼だが、あんちゃん、会社からいくらもらってんのっしゃ?(もらっているのですか?)」
と、唐突に尋ねられました。
「手取りで98000円だよ。」
「なんだぁ~、そったらぽっちの金!」
“そったらぽっち(たったそれだけ)”と言われましても、当時は今で言うワーキングプア状態の先生でしたが、会社をクビになるわけにもいきません。
すると代表格のおばあさんが、
「じゃあこうしてはいかがかね。
あんちゃんは今日ここに泊まってわしらのことを治してくれる。
そして明日の朝もう1回治してくれてから会社に行くんだ。
そうしたら遅刻にはなるが、まる1日休むわけじゃないから、クビにはならんじゃろ。」
とおっしゃりました。
それもそうかな、と、元来が植木等さんの“スーダラ節”をモットーに?生きて来られた宇賀神先生です、なし崩しにそのままもう1泊することになさいました。
横向温泉の湯治宿には膝から腰から首など、あちこちを痛めてらっしゃるお年寄りばかりいらっしゃいました。
誰にも何にも治療方法など教わったことのなかった先生ですが、不思議とその方達のお身体を触っているうちに、なぜか皆さん治ってしまわれたそうです。
多分、先生ご自身でも不思議だったんじゃないでしょうか。
でも、事実治っちゃったんですよねー。
皆さん「痛くなくなった!」と喜ばれたそうです。
そして次の日のお昼、宇賀神先生が今度こそ宿を出ようとチェックアウトを済ませましたとき、皆さんが見送りにきてくださいました。
すると先の代表格のおばあさんが、
「あんちゃん、これ、少ないけどみんなの気持ちだから。」
と、おっしゃって、お金の入った封筒を渡してくださいました。
先生が思わず中を見ようとなさいますと、
「見ねぇでけろ!恥ずかしい額だから!」
とおっしゃいますので、はやる気持ちを抑えて封筒をしまわれました。
皆さんに見送られながら車で宿を出発し、一つ目の角を曲がったところで車をとめ、急いで封筒の中をご覧になりました。
39年前の当時は今とは貨幣価値が若干違う時代でしたが、中に入っていましたのは15万円もの大金でした。
今でいうワーキングプア状態の宇賀神先生でしたから、それはそれはびっくりなさったそうです。
ひと月分のお給料以上の金額を、ひと晩で稼いでしまわれました。
宇賀神先生が幼い頃にお父様の事業が失敗し、それ以来ずっと貧乏な子供時代でした。
そして先生が社会人になられましてからも、貧しい暮らしには変わりありませんでした。
先生にとりまして、貧しい暮らしから脱しますのは、幼少時代からの1番の願いだったのです。
「自分のこの不思議な力は人から感謝されたうえに、お金になるんだ!」
その事実に気づかれたときの先生の打ち震えるような喜びは、想像にかたくないですよね。
宿を出られ、皆さんから見えなくなってすぐのところで封筒の中を見ました若かりし頃の宇賀神先生、「その気持ち分かるよー。」と言ってあげたくなります。
そして宇賀神先生はこの横向温泉での出来事をきっかけに、「氣」というものを実践的に人生上に活かして生きていこうと思われました。
それは、日本ターザンがかつて幼い頃の宇賀神少年に、
「氣を操るものは、そのコントロールの範囲内で全ての事象をひん曲げることができる。」
と、ただ一言教えてくださったことをずっとずっと忘れずにきたことが、ようやく芽が出た瞬間でした。
・・・ところで、よもや“スーダラ節”をご存じない方はいらっしゃらないと思うのですが・・・ジェネレーションギャップということもあり?、ご説明いたしますと。
「サラリーマンは~気楽~な稼業っと、きたも~んだっ!」
という、かの有名な植木等さんの名曲です。
いえね、もちろんワタクシも知らない方の世代だったのですけどね、宇賀神先生に教えてもらったのですよ、念のため!
先生はこの曲が大好きなのです。
この歌のいい加減さ。
宇賀神先生は、
「いい加減なのではなく、“良い加減”なんだよ( ̄∇ ̄)V」
と常々おっしゃっています。
ま、紙一重ですね。
合掌