踊るお不動さん

せっかく昨日お不動さんのお話が出ましたので。

5月11日の「密厳国土」の回で、京都の東寺さんにお参りに行ったお話を致しました。

そこで私は“動くお不動さん”にお会いしました。

“踊るお不動さん”と申し上げたほうが、より正確かも知れません。

 

春と秋のそれぞれ2か月程ずつですが、東寺さんで特別公開が催されます。

その期間に公開されます宝物館に、そのお不動さんはいらっしゃいました。

 

通常、展覧会や博物館などで展示されます時は、佛像などは事前に“ご心抜き(ごしんぬき)”とよばれることを施されるようです。

佛様の像から、中身の佛様を抜きだし、ただの木像や石像などとして展示するのです。

ですので、通常ならば“中身のないただの像”のはずなのですが、やはりたま~に、「ああ、佛様がいらっしゃる」と感じます佛像もごさいます。

 

それが今回の宝物館のお不動さんでした。

またいずれご紹介する時がありましたらさせていただきますが、東寺さんでは他にもいらっしゃいました。

もちろんこれは私の感性によるものですので、(例の“受像機の精度の問題”ですね、)他の方が感じられる佛様で、私が感じ得なかったものもあるとは思います。

あるいは私が「いらっしゃる」と感じました佛様も、他の方から見られますと、「何も感じないよ」となるかも知れません。

 

ですが、今回たまたま同じ時に居合わせた見知らぬ一人の女性が、私が感じます佛様と同じところでずっと感慨深げに立っておられて、多分ですがこの女性も何かが見えたりする方なのだなー、と思いました。

 

さて、その東寺さんの宝物館のお不動さんですが、前に立って拝見しますと、何やら左手にお持ちの不空羂索(ふくうけんさく)が揺れていました。

「あれ、空調の風か、入り口からの風で揺れてるのかな?」と思いましたが、周りに風を感じませんでした。

おかしいなー、と思って見ていますと、その不空羂索は揺れているようで、揺れていません。

でもやっぱり揺れている。ように見えます。

そしてよくよく見ますと、お不動さん全体もゆらゆらと揺れていました。

お不動さんの後ろにあります火炎の炎を模したものも、ゆらゆらと申しますか、メラメラと燃えるように揺れています。

「あ、いらっしゃるのかー。」

と思いました。

 

あんまりありがたくて、思わず手を合わせました。

そしてずうっとずうっと真ん前に立って拝見していましたが(その日は空いていました)、その間ずうっとゆらゆらと揺れていらっしゃいました。

これが“踊るお不動さん”なのね、とお会いできてとっても嬉しかったです。

 

実はうちのお寺には、“踊る毘沙門さん”がいらっしゃいます。

宇賀神先生が、「この毘沙門さんはお勤め(お経を読むこと)が始まると踊るんだよー」とおっしゃるのですが、残念ながら私の目には分かりません。

ただ、大掃除の日にニッコリと満面の笑みをなさったのにびっくりしたことはありました。

(本来はきりりとした厳しいお顔をなさっています。)

ぜひ一度楽しそうに踊られているところを拝見したいなー、と思っておりますが、いまだそのご縁に巡り合えずにおります。

 

今週末には奈良のお寺の方で勉強会がありますので、その毘沙門さんのお写真が上手に撮れましたら、ご紹介したいと思います。

この毘沙門さんも、不思議なご縁で宇賀神先生のもとへいらっしゃいました。

 

ところで、この東寺さんの宝物館ですが、1階に今日お話ししましたお不動さんがいらっしゃいまして、2階には先日ご紹介しましたお大師さんの法具や、さらにもの凄い存在感のとっても素晴らしい佛様もいらっしゃいました。

ですのに、ここの警備員さんにお尋ねしましたところ、毎日ここで法要はなさっていらっしゃらないとのことでした。

宝物館という、言うなれば保管庫と同じ扱いだそうです。

年に2回だけ、春と秋の特別公開の始まる日に法要をなさるだけだそうです。

それをお聞きし、とても悲しい気持ちになりました。

他の方も拝観なさっている宝物館で(しかも東寺さんの!)厚かましくも私がお経を読むわけにもいきませんでしたので、その日以来、家でお勤めしますときに東寺さんで巡り合いました佛様たちにもご挨拶申し上げています。

 

信仰とは惚れて惚れて惚れぬくこと。

宇賀神先生から教わったことですが、私はあの日以来、東寺さんでお会いしました佛様たちにも惚れ込んでおります。

ですので毎日ご挨拶申し上げますし、またお会いしに行きたくなるのですね。

 

合掌