では、霊以外のものが霊だと見なされる場合とは

先日、霊以外のものが霊だと見なされる場合がありますと書きました。

それは一体何でしょうか?

 

宇賀神先生のお考えですが、それは「残留思念」だそうです。

 

この残留思念と申しますのも結構やっかいで、生前のその人の”思い”が、繰り返し繰り返し同じ場所で行われるのです。

しかも、あまりいい”思い”ではないことの方が多いように思われます。

それは例えば交通事故で亡くなった方の思念が、何度も何度も事故に合うシーンを再現するのです。

 

私が経験しました、とても印象深い残留思念のエピソードをお話させてください。

そしてこれにはもう一つ、お大師さん(弘法大師 空海さま)のお力の凄さのことも含まれています。

 

数年前に宇賀神先生と私が四国八十八か所巡りをしていたときのことです。

どのお寺さんでしたか忘れてしまいましたが、お参りを終えて車をとめてある駐車場に帰ろうと道を歩いておりましたとき、ふと私の作務衣の袖が道端に植えてありましたヒイラギの枝にひっかかりました。

ちょうど誰かに袖を引っ張られ、引きとめられたようになりました。

「いやー、枝がひっかかったわ。」

と言いながら立ち止まり袖を枝から外していますと、宇賀神先生が、

「今ので事故に合うタイミングから逃れられたんだよ」

と、真面目顔とおふざけと半々でおっしゃいました。

「そんな、まさか~」

と言いつつ、車に乗り込みました。

 

そのお寺さんを車で出発してすぐの、信号のない交差点にさしかかりました。

T字路の突き当りに向かう形で、右折しようとしていました。

一旦停止して右を見て、次に左を見ましたら一台の車が右に向かって走って来ていました。

白い車で、中に乗っている人たちの人数や性別なども把握するくらいの認識をしていました。

その車が右へ通り過ぎて、もう一度右・左・右と確認して、そろーっと車を前進させたときです。

いきなり車が右からやってきて、危うくぶつかると急ブレーキを踏みました。

さっきちゃんと確認して車をスタートさせたはずなのに?

と、冷や汗をかきました。

そして、さっき左から右へ抜けていった白い車が、どこにもいないことに気づきました。

すると宇賀神先生が、

「ほらね、事故に合うタイミングから逃れられただろ?」

とおっしゃいました。

 

うっそーん!(ToT)

 

と、びっくり仰天。

 

「え、あの左の白い車、本物じゃなかったん?」

と、聞きますと、

「そうみたい。」

と、先生。

その白い車は、多分ですがその交差点で事故を起こし(そして多分乗っておられた方達は亡くなり)、亡くなったあとも交差点で何度も事故の様子を再現している残留思念ではないかとのことでした。

 

宇賀神先生でも、それが霊であれ残留思念であれ、初めにパッと見たときにそれが「現実の人間ではない」と一瞬分からない、けれど何かおかしいな~と思う、ということがあるそうです。

今回も白い車が来るのを見られたときも一瞬分からなかったようです。

でもやっぱり、何かおかしいと思ったんだ、とのことでした。

 

あんなにリアルに見えた白い車が本物でなく、右から来ていた本物の車が(意識して右を確認したはずですのに)見えていなかったなんて、ショックでした。

そして冗談半分、本気半分で「事故に合うタイミングから逃れられた」と予言なさった宇賀神先生の第6感。

そして何より、そのときのヒイラギの枝に託して、一瞬引きとめてくださったお大師さんのお力に、驚きつつも感謝致しました。

 

もちろん現実問題として考えますと、あのときヒイラギの枝に私の袖がひっかかったことでは交差点でのタイミングのずれには寄与しません。

ですが、宇賀神先生のおっしゃるように、「あのご縁のお蔭で」タイミングがずれたとしか思えませんでした。

助かりましたー。

 

と、このように、往々にして人が巻き込まれてしまいます「残留思念」は、結構やっかいなようです。

怖かったよー。

お大師さま、ありがとうございました。

 

合掌

 

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