先日まで、宇賀神先生の信条である、「霊や前世の因縁などに心捕らわれないように」ということを書いてまいりました。
では、霊がとりついたことによる災い(霊障)や、”前世の因縁”とは違いますが、”祖先の行ったことにより後々まで祟られる”などというおどろおどろしいことが全くもって世の中に無いのかと尋ねられましたら・・・
残念ながら、答えは「あります」です。
先生は今まで何度もそういうお仕事も引き受けてまいりました。
ただ、やたらめったらそのような理由で不幸がおこるわけではありませんので、「安易に」霊などに結びつけない方がいいですよ、というのが先生のお考えです。
事の真偽が誰にも証明できませんのに、余計な苦しみが増えるだけですから。
そのようなおどろおどろしい話、いずれはここにも書いていきたいと思っております。
「ありのままをカミングアウト」するためにこのブログを始めました。
明るいお話をなるべく書きたいとは思っていますが、事実として、このよう暗いお話も避けるべきではないとも思っております。
宇賀神先生が、ご自身の勉強会などでも霊などのお話をあまりされませんのは、一つには「霊を語っても人は幸せになれない」という信条によるものですが、もう一つには、世の中のあまりにも多くの人が新興宗教団体などに“霊”や“祟り”に物事を結びつけられて、それらを祓うために多大なお金をかけていらっしゃるからです。
墓石や仏像を買わされる、などというのはよく聞く話ですね。
金額の桁が違ってきます。
やっぱり、幸せになれるとは到底思えません。
そう言えば、少し変わったところでは、以前、電車に飛び込み自殺を図られて、奇跡的に助かった方が宇賀神先生のところへいらしたことがありました。
その方はお若い方でしたが、「僕はもう死んだんだ。なのに何故ここにいるのか分からない。」とおっしゃって、ご家族が困り果てて連れてこられました。
目の前に生きていらっしゃるのに、ご本人さんは「死んでいる」と主張なさいます。
すると宇賀神先生は、
「脱魂症状だね。」
とおっしゃいました。
本来は魂は身体にしっかりと結びついています。
そして人が亡くなりますと、魂は身体から離れてあの世に帰ります。
いわゆる霊とは、この魂があの世に成仏できずに地上にとどまったものであったり、また、他のものを霊だと見なされる場合もあります。(詳しくは次回)
先程の方は命をとりとめられましたのに、何かの加減で魂が半分抜けかかってしまったまま元に戻らず、その為ご本人さんは死んだはず、としか思えないのでした。
事実は小説より奇なりと申しますが、私はそんな話はそのとき初めてお聞きしました。
残念ながら半分抜けかかっている魂は私の目には見えませんでしたが。
もちろんその方は宇賀神先生のお加持を何度か受けられてご回復なさり、今では立派な社会人となられました。
魂が半分抜けかかっておられる時と、すっかり元通りになられた後では、目の輝きが違いました。(私に理解できることと言えばそんなことくらい)
と、私にとりましてはちょっと怖い分類に入りますこのようなお話・・・やっぱり皆様、お聞きになりたいですよねぇ?
え、こんなのはまだまだ怖くないですか?
日本人は怪談好きとか。
皆様のご期待に沿えますよう、事実は事実として少しずつご紹介していきたいと思います。
ですが、「霊を語っても人は幸せにはなれない」という宇賀神先生の信条をくれぐれもお忘れなきよう、お願い申し上げます。
ご自身では、お関わりになりませんよう。
それこそファンタジー映画でも見るような感じで、一歩引いて楽しんでいただけますと幸いです。
合掌