前世の因縁?忘れちゃったもーん!

宇賀神先生のもとへいらっしゃる方からたびたびお聞きする質問、

「私が苦しんでいるのは、前世の因縁のせいですか?お祓いしてもらった方がいいのでしょうか?」

先生のお答えは、

「必要ありません。」

 

ご病気や人生の色々な問題で悩まれている方達は、どうしてもお心が弱り、霊に加えて前世の因縁などが原因では、と心配になられます。

普通に幸せに暮らしておられる方なら、こんなこと考えもつかないでしょうけれど、つらいことが続きますと心も弱ってしまいますね。

心のスタミナがなくなります。

 

ですが、この因縁という言葉、もともと佛教の用語なのですが、日本では少々一人歩きしているように思われます。

悪いほうの意味あいでのみ使われていることの方が多いように見受けます。

もともとは、お釈迦さまが

「この世は因と縁によって成り立っている。」

とおっしゃったのです。

ものごとには原因があり、その縁によって生まれる結果がある、と。

「原因と結果」

ごくごく当たり前のことで、何も不思議なことではありません。

 

さらに申し上げるなら、佛教の輪廻転生という世界観が正しいとすれば、全てが前世からの因と縁により、今世の私は私としてここに生まれたのでしょう。

そうです、「前世からの因縁により、今の私がここに在ります」となります。

そしてそれは不幸なことだけでなく、幸せなことも含めての、人生の全てを含めての話なのでしょうね?

そのような今世の人生のもといとなる前世からの因縁、お祓いしたってとれるはずありません。

とれてしまいましたら、ここに「私」が存在する起源まで無くなります。

 

そして、そんな大事な大事な「前世の因縁」、どうして私たちは覚えていないのでしょうか?

 

それは、

「覚えておく必要がなかった」

からだと思います。

あるいは、

「忘れるべきだった」

からだと。

 

宇賀神先生はよく、

「この世はお修行の道場」

とおっしゃいます。

「あの世に持っていけるのは魂だけ」

「だから魂が打ち震えるほどの喜びをたくさん感じて、魂を肥え太らせて、あの世に帰るんだ」

と。

 

私ならば今世、「松岡綾野」としてこの世に命を授かり、結婚して宇賀神姓になり、今ここにいます。

綾野として私の両親のもとに、この時代・この国・この世に生まれた宿命は変えられません。

ですが運命は、私自身の意思により人生を切り開いて、変えていけます。

そして今の宇賀神綾野としての命を生ききって、将来は佛様の御国に帰ります。

帰るときの乗り物である魂を磨くお修行をして、ぴっかぴかのすごくいい乗り物にして、佛様の御国に帰るつもりです。

 

この世に「行ってらっしゃい」と送り出してくださった佛様が、私に、あるいはほぼ全人類に、前世からの因縁の記憶を忘れてしまうようにして送り出されたのは、今世のお修行には何の必要もなかったから。

前世の因縁の記憶など、今世のお修行の邪魔なのです。

もしもその記憶が必要であるならば、佛様は私に持たせたままこの世に送り出してくださったはず、と思っています。

必要がないのですから、捕らわれる(執着する)必要はありません。

今世は「今世の私」に心を定めて、お修行するのです。

 

もしもヘンな“自称・霊能者”に、「アナタの不幸・病気は前世からの因縁です!」

と言われましても、

「あっ、そう。」

「だから何?」

と言える強さを、私は宇賀神先生から教わりました。

「そんなことどうでもいいよ。」

と。

 

それよりも、私は今の人生を輝くように生きたい。

「人生を謳歌する」という言葉が大好きです。

喜びも、悲しみも、幸せも不幸でさえも、今こうして生きているからこそ味わえる。

(本音を申しますと、悲しいのや不幸はあんまりいりません。)

輪廻転生したって、今の宇賀神綾野の人生は二度と来ません。

宇賀神先生のおっしゃるように、「魂が打ち震えるような喜び」をたくさん味わうのがお修行だなんて、なんて素敵なんでしょう!

いっぱいいっぱい色んなことを味わって、魂をぴかぴかに磨いて、佛様の御国に帰ったとき、佛様に「よくお修行したね」って褒めてもらおう!

「前世の因縁?」

どうでもいい!

だって忘れちゃったもーん!

 

合掌

 

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