ここでひとつお断りさせていただきたいのが、このブログで宇賀神先生や私が神様佛様のお声をお聞きしました、と申しましても、必ずしも常に正しくお聞きしているとは、本人でさえも思っていないということです。
ここに書いてありますことがフィクションかノンフィクションか、という意味ではありません。
「確かにお聞きした」とは思っています。
でもそれがちゃんと神様佛様のお心通り正しく聞けたかどうかは分からない、ということです。
宇賀神先生はよく、「テレビなどと同じで受像機としての精度の問題」とおっしゃっています。
いくら神様佛様が電波を飛ばしてくださっていても、受ける側の私たちの精度が低ければ、正しく受け取ることはできない、ということです。
また、ある時は正しく受け取り、ある時は不具合で、でもまた叩くと配線がつながるテレビのように?(いつの時代や)、と、体調が変わるように精度も一定ではないという問題もあります。
先生のように人様よりは霊能力があるかなー、という人でも、例えば欲で物事を見ますと、見間違えます。
欲目とはよく言ったものです。
ですので、ここはもう、常に自分に問いかけるしかありません。
「私の目は澄んだ水面のように、物事を正しく映し出しているか?」
「私の耳は神佛のお言葉を、自分の考えで捻じ曲げることなく聞いただろうか?」
と。
実際、世の中には「私は神様のお声を聞きました!」とご本人は本気で思われ、そのために判断を誤り、人生を苦戦してしまう方もおられます。
宇賀神先生のところには、そういう方達も過去にたくさんご相談にいらっしゃいました。
でも、どんなに人生苦戦なさっていても、「聞いた」と思われた方は、「それはちょっとお聞き違えでは」などとやんわりお伝えしても、耳を貸されません。
ご本人は信じ切っていらっしゃいます。
宇賀神先生がいつも指針にされるのは、「現実との整合性」です。
別に神様佛様のお話だけでなく、人様からお聞きするお話でありましても、自分に都合のいいように解釈を捻じ曲げる、というのはよくあること。
ですので、お聞きしたお言葉は、本当に神様佛様のお心通りだったのか、自分の都合というフィルターを通したものだったのか、現実世界で矛盾することなく当てはまるのか、を常に考えます。
誰も、誰にもそれが正しいと証明できないからこそ、いつもありのまま素直に神様佛様のお心を受け取りたいと願っています。
実は私も経験した、「欲かいて聞き違え、あるある~!」という笑い話、ちょっと恥ずかしすぎて言えません。( ̄∇ ̄)/
合掌
今日、ここまで読ませて頂きました(^_^)
高橋先生、いつもありがとうございます!
高橋先生がご覧になられましても、「そこ、(佛教的に)間違ってますよー」と思われませんよう、もうちょっと勉強にはげみます。(^O^)