二度失う

宇賀神先生が佛様の国に旅立たれて間もない頃から、私はずっとひとつの怖れを抱いていました。

「宇賀神先生のことを、忘れてしまいそう。」

という怖れです。

初めの頃はあまりにも突然の悲しい出来事で、宇賀神先生が亡くなる前は一体どんな日常を送っていたのか思い出せない、とショックを受けておりました。

日々のご飯はどんなものを食べていのか、朝起きるときはどんなだったか、昼間の会話はどんなことを話していたのか、というような日常のささいなことが思い出せず、痴呆にでもなってしまったのかと嘆いておりました。

今でもはっきりと思い出せているわけではないかも知れません。

ただ、日常って、何気なく過ごしているのが日常というものでしたら、毎日のすべてを鮮明に覚えているというものでもないのではと、自分自身を慰めております。

ですが、それにしましても思い出そうとするといまだに記憶にぼんやりともやがかかったようにも感じられ、思い出せないというより、このまま忘れていってしまうのではないかと怯えております。

以前に「幸せのレシピ」という映画を見たことがありますが、その映画の中でお母さんを早くに亡くした小さな女の子が「ママのこと忘れそう。」と言って泣くシーンがありました。

すごく分かる、と思いました。

時がたつにつれてどんどん記憶が薄くなっていき、愛する人が過去のものとなり、とっても大事な思い出まですべて、愛しているという気持ちでさえすべて、忘れてしまいそうだという怖れを抱いているのです。

それはまるで、二度失うのと同じこと。

一度目は否応なく引き裂かれてしまった大事な人を、今度は自分の心と頭が忘れてしまうことによってもう一度奪われてしまうような、そんな恐怖感があります。

私自身のせいで、もう一度失ってしまう。

いやだ。

そんなの絶対にいやだ!、と心の中で叫んでいます。

あの突然の悲しい出来事以来ずっと、私はこの二度失うという恐怖に怯えながら生きております。

そんななか、数日前からなぜかある曲をどうしても聞きたくなって、何度も繰り返し聞くようになっておりました。

それはSKID ROWというバンドの、私が大学生の頃に弟のCDを借りてよく聞いた、「I REMEMBER YOU」という曲でした。

SKID ROWは今は昔懐かしのヘビーメタルバンドで、ですがこの曲は美しいバラードなのです。

私はヘビメタバンドのバラードが結構好きでしたねぇ。

音が重厚、というのでしょうか、なのに優しいメロディーで、大好きでした。

そしてここ数日この曲を何度も聞いていて、今更ながらふと、この歌詞は「I remember you」じゃないかと気がつきました。(しかも題名もそのままだよ。)

I remember you、つまり、「私は貴方のことを覚えている」という意味です。

曲のサビの部分で何度も何度も繰り返し、

“Remember yesterday – walking hand in hand”

「あの日を思い出して、手をつないで歩いたね」

“I remember you”

「僕は君のことを覚えているよ」

“I’d wanna hear you say – I remember you”

「君が言ってくれるのを聞きたい―『貴方のことを覚えている』と」

と歌われています。

これって、もう30年ほども前に聞いていたこの曲をまた急に聞きたくなったのは、もしかしたら宇賀神先生からのメッセージだったのでは・・・そう思うと、また泣けてきました。

この曲はどうやら別れた恋人への切ない思いを歌ったものですが、生と死に分けられた、宇賀神先生と私の境遇にも重なるような気がして、泣けてきました。

そうか、宇賀神先生は私が弱気になって宇賀神先生のことを忘れてしまったらどうしようと怯えて泣くのではなく、「覚えているよ」と言って、安心して生きていてほしいのか。

混乱したような、つらい思いにとらわれずに、ちゃんと綾野は覚えているから大丈夫、と言ってくれているのか。

そう伝えて、慰めてくれているのではと、そんな風に思えて、泣けてきました。

きっと私の「忘れてしまうのかも」という怖れは、宇賀神先生のことを大好きだからこそ感じている恐怖なのでしょう。

愛するがゆえに、失うのが怖いのです。

しかも二度も。

そんな自分で作りだした恐怖に自ら怯えなくても、大丈夫だから、安心して生きていてほしい。

「覚えているよ」と言ってくれていたら大丈夫。

少なくとも、宇賀神先生は私のことを覚えているから大丈夫。

歌のメッセージと重なって、そう何度も繰り返し慰めていてくれるような、そんな気がいたしました。

また、他にもこの歌の中に私の思いに重なる部分があって。

「僕達はつらい時期を経験したけれど、それは僕達が払った代償だった。」

そう、宇賀神先生との日々が幸せだったからこそ尚一層、私は今とても寂しくて悲しくてつらい思いをしているよ。

「それでもずっと、僕達は交わした約束を守り続けてきた。誓うよ、君は決して孤独にはならない。」

宇賀神先生は生前、死んでもずっと私と一緒にいると言ってくれてた。

綾野さんに背後霊のようにひっついて、寄ってくる男を追っ払うんだ、って言ってくれてた。

約束、してくれたよね。

あの約束をちゃんと守ってくれていると信じているから。

歌って、いいなぁ。

30年近くたって、好きだったこの曲に慰められる日が来るとは思いもよりませんでした。

また忘れてしまいそうな恐怖がひどく襲ってきたときは、この曲を聞いて大丈夫って自分に言い聞かせればいいのかな。

いつも宇賀神先生は大丈夫と言って安心させてくれていたから。

今もきっとそうだから、その声をたくさん受け止められるようになりたいと思っています。

いつも優しく包んでくれている宇賀神先生の思いを、ずっと感じていられますように。

合掌

夢の中で会えた、という夢を見た

昨日は宇賀神先生のお誕生日でした。

そのためかどうかは分かりませんが、朝に宇賀神先生の夢を見ました。

なんとも不思議な夢で、私はその夢の中で「宇賀神先生に会っている夢」を見ていました。

まるで「インセプション」という映画のようです。

インセプションという映画は、夢が何階層にも深くなっていって、夢の中の夢の中の夢に入っていく、という物語なのですが、まるでその映画のように私は夢の中で夢を見ていました。

それなのにやけに存在感がリアルで、私は夢の中で

「夢で宇賀神先生に会えた!嬉しい!」

と、宇賀神先生のことをぎゅうっと抱きしめていました。

不思議なことに、宇賀神先生は綺麗な紫色の光の人影になっていました。

輪郭もぼやけているような人影だったのですが、私はひと目で宇賀神先生だと分かって、消えてしまわないように慌ててぎゅっと抱きしめたのでした。

「やっと会えたー!」と、とても喜んでいる私がいました。

そして、やっと夢で会えたけど、これは夢というよりは、夢と現実の境界線のような、とっても不思議な感覚、と感じていました。

以前もお伝えしましたが、宇賀神先生は夢の中で自分が夢を見ているという自覚のある、いわゆる明晰夢(めいせきむ)を見られる人でした。

そしてその夢をコントロールできていました。

今では明晰夢に関する本も出ているようですが、宇賀神先生は自然と子供の頃から明晰夢を見ることができていたそうです。

私は今更ながら羨ましくてなりません。

いいなぁ。

私も毎日自在に宇賀神先生のことを夢に見られたらいいのに、といつも思っています。

ですので、昨日の朝は大収穫したような、とっても嬉しい気持ちになりました。

ところが朝起きて、夢で会えて嬉しかったはずがまた例の「揺り返し」がきて、宇賀神先生のお誕生日だというのに、いえ、お誕生日だからでしょうか、余計に悲しい気持ちになって一日中落ち込んでいました。

宇賀神先生のお好きなケーキでも買って、一緒にお祝いしたかったと泣いていました。

そして一日中ぐずぐずと過ごし、夜になって夜ご飯のお供えをしたときに、ふと宇賀神先生の声が聞こえた気がしました。

「綾野さんの好きなクッキーでも食べて元気出して。」

と。

違うよ。

私は「宇賀神先生に」先生の好きなケーキを食べてほしかったんだよ。

甘いものはそんなに食べない先生だったけど、それでもいつも近くのケーキ屋さんのチョコレートケーキを、クリームの中のチョコチップがカリカリと美味しいと言って喜んでいたよね。

それとか、車で行かないといけないケーキ屋さんだけど、丸ごとメロンを使った美味しいケーキ。

ベランダにテーブルと椅子を出して食べるのにいい季節になって、何年か前も二人で食べたよね。

宇賀神先生も喜んでくれてた。

あれをもう一回、二人でしたかった。

本当は一回と言わず、何回でも。

せめてもっと夢の中で会えたら、といつも思います。

宇賀神先生のように、インセプションの映画のように、自分の望む通りの夢が見られたならと願わずにはおれません。

ですが昨日、何だか不思議な感覚の、夢の中の夢のような、それでいて夢と現実の境目のような夢を見られたのでしたら、またきっとそんな夢を見られるはず。

そしてその夢で宇賀神先生に出会えるはず。

そしたらその夢の中でまたベランダにテーブルを出して、二人で一緒にケーキを食べてお祝いしよう。

二人で食べたら、より一層美味しいから。

またきっと、夢で会えますように。

合掌

逃げる

私は、ときどき逃げます。

なんだかとっても悲しくて、鬱々として押しつぶされるような感覚にとらわれたとき、私は逃げることにしています。

お酒を飲める方はこういうとき、お酒に逃げられるのでしょうね。

いいなぁ、酔える人は。

私はお酒は一滴もダメで、飲むと吐き気がして心臓が苦しくなって、全然気持ちよく酔えません。

もちろんタバコも吸わず、私の嗜好品と言えばコーヒーとか・・・ですが、コーヒーをがぶ飲みしても気分が晴れるものでもないですし、あまり助けにはなりませんねぇ。

ただ、最近はありがたいことに音楽や映画もそれなりに楽しめるようになってきました。

ですので、つらくて何もする気が起きないときは音楽を聞いたりとかして、頭をぼーっとさせて何も考えないようにしています。

色々ごちゃごちゃと考えるから余計にしんどいのですよね。

しんどいのは、後悔が多いからです。

宇賀神先生にもっとこうしてあげればよかった、こんなこと言うんじゃなかった、もっともっと一緒に時間を過ごすはずだったのに、と。

悔やまれることはキリがありません。

その後悔をひとつひとつ挙げていっては自分を責めます。

以前は宇賀神先生の患者さんのご遺族の方に対して、亡くされたご家族を大事に思ってよく尽くされた方ほど後悔が多く嘆かれるものと感じておりました。

そしてまったく同じ事をかかりつけ医の奥様が私に言われて慰めてくださいましたが、やはり自分のこととなりますととてもそうは思えず、自分のことを責めてばかりいました。

ですがあるとき母から、

「どうしてそんなに自分のことを責めてばかり。」

と言われ、また別の方からは

「悲しむのはいいけど、自分のこと責めたらあかんよ。」

と言われました。

自分のことを責めて「ばかり」いることに気づき、それはやはり宇賀神先生の望まれることでもないはずと思い、少しずつ改めてきました。

私に至らなかったことが多くても、優しい宇賀神先生は私が自責の念に駆られているよりは、幸せに笑っていることを望まれるでしょう。

生きていてくださったときも、ずっとそうでしたから。

ですので、最近はそうやってまた何だか自分のことを責めたりしてしんどくなりそうなときや、あるいは何もなくても悲しく落ち込んでしまって浮上できそうにないときは、音楽や映画を見て、わざとぼーっとして時間を過ごします。

自分自身のつらい考えから気をそらすのです。

そしてさらに、ちょっとヘンな話ですが、自分のことをカピバラ扱いします。

このブログでは恥ずかしくて書いたことありませんでしたが、去年の夏頃から両親や近しく思う方に対してのメールで、私自身のことをカピバラと称しております。

なぜカピバラかって、あるとき早期FIREを達成なさった方がKindle本でご自身のことをカピバラのような生活を送っている、とおっしゃっていて、私はそれを真似しだしたのです。

その方は早期退職ができるくらい存分に働かれた後の無職の人生ですので、私とはまるで立場が違いますが、それでも私自身が「無為徒食」と思ってなんだか申し訳なく思っておりましたので、働かずにぼーっと生きている自分のことをカピバラと称することで幾分かは気持ちが軽くなっておりました。

カピバラって可愛いですよね。

でもよくよく見ますと顔は可愛いというより何だかぶちゃいくだったりして。

哲学したり鋭く物事を考えている風でなく、温泉につかったりして、のほほーんと生きているみたいで。

およそ生産効率などという言葉とはまったく無縁の世界を生きているようなカピバラに例えることで、心救われておりました。

実際のところはカピバラは人気者だそうで、生産効率とは無縁だなどと書きますとカピバラに対して失礼かも知れません。

可愛くのほほーんと生きているだけで動物園にお客さんを集めてお仕事しているだなんて、もしかしたら人間の私よりよっぽど働き者かも。

何はともあれ、自分のことをカピバラに例えますと幾分かは気持ちが軽くなっておりました。

早朝に野球の練習に行く甥っ子の送迎を頼まれたときも、「カピバラタクシー」と称したりして、なかなか皆にも楽しんでもらえている名称でした。

そうやってカピバラに逃げるのも、私にとりましてはまたひとつのいい手段なのです。

逃げるのって、大事と思います。

いつもいつも全身全霊でこのつらさを受け止めておりましたら、いつか心が壊れてしまいそうです。

もちろん、初めの頃はこうはいきませんでした。

それこそ、悲しみや嘆き、喪失感、孤独、自責の念といったものがものすごい重圧となって全身に重くのしかかり、どこにも逃げることはできませんでした。

今は、今も、もちろんそれらの重圧はありますが、ときどき音楽などに心を逃がせられるようになりました。

そうやって一瞬でも肩の荷を下ろしますと、またそれを担ぐことになりましても押しつぶされるような感覚が少しましになるのです。

カピバラとして、機嫌よく生きていけるのです。

ここ数日もカピバラは悲しみという動物園からとん走しておりました。

どうにもこうにも、何故だか朝起きたときから悲しくて、なぁんにもやる気が起きなくて。

こんなときは動物園からとん走するに限ります。

そして昔好きだった音楽を聞いたり、アマゾン・プライムでドラマや映画を見たりして、頭をわざとぼーっとさせます。

あっ、そうか。

ぼーっとしているのではなくて、瞑想していることにいたしましょう。

そうです。

カピバラはここ数日瞑想に励んでおりました。

音楽を聞きながらじっと目を閉じておりますと、瞼の内側に綺麗な光が色をともなって見えてきます。

これは立派な瞑想だということにしておきましょう。

その光の向こうに、何か自分より大きな存在に通じていくものがあるはずですから。

そしてしばらく瞑想したら、カピバラはまた動物園に戻ってきました。

優しい宇賀神先生という飼育員さんのいる動物園に戻ってきました。

カピバラは優しい飼育員さんに抱っこされて安心して、夢見心地になりました。

そしたらその飼育員さんが、

「カピバラのしていたのは瞑想ではなくて迷走だよ。だってとん走してたんだから。」

と、からかうように言いました。

びっくりして目を見開くカピバラ。

最近、「あの世からの冗談」の記事を書いたとき以降、宇賀神先生が何だか笑わせようとしてくださっているような気配を感じております。

私は宇賀神先生のことを思って泣きたいのに、ねぇ。

宇賀神先生は私に、そんなに笑っていてほしいの?

合掌

禅機をZEN CHANCEと誤訳してしまったけれど

今の今まで、思い込んでいた間違いがあったことに気づきました。

前回の記事で「悲しみが心に蓋をして」と書いていたとき、ふとあることを思い出しました。

それは、ある方が宇賀神先生に

「自分の目の前に壁があって、それを乗り越えることができない。」

とご相談なさったときの、宇賀神先生のアドバイスです。

宇賀神先生はそのとき、「禅機(ぜんき)」という言葉を用いてその方にお話しなさったのでした。

その悩まれていた方はアメリカの方で、趣味で油絵を描いておられました。

たくさん絵を描かれていたのですが、とてもとても真面目な方で、絵を描くときに自分の目の前に壁があるようで、それをなかなか乗り越えられずにいると悩んでおられました。

日本語の理解が少々難しいということで、私が通訳代わりにその方に宇賀神先生の言葉をお伝えしました。

宇賀神先生がおっしゃるには、

「壁はあって当たり前なんだ。

家に入ると、自分の周りに壁があるだろ?

でも家に壁があるのは当たり前で、逆にそれが貴方のことを外界から守ってくれていて、だから気にもならない。

当たり前だと思っていると気にならなくなる。

気にすること自体がおかしい、ってなる。

気にならなくなって、あることが普通だったら、それは無いのと同じこと。

とっくに無い、もともと無いんだよ。

『悟り』は見ようとしたら見えない。

悟りにこだわらなくなると、それが悟ったとき。

それを禅機と言う。

今、貴方は禅機に来たのだ。

壁に気づいた今が、壁がとっくに無かったと悟れるときなんだよ。」

私はこのとき初めて禅機という言葉を知り、とっさに「Zen chance」と訳しました。

宇賀神先生のアドバイスをすべて正しく英訳できたかどうかはいまだに不安が残りますが、それでも彼はとても喜んでくださいました。

「この智慧をブログに書くべきだよ!」

とまで喜んでくださいました。

私はその彼の言葉が嬉しくて、何年もたった今でもあの時の彼が目を見開いて喜ばれた様子を覚えております。

とても理知的な方で、しかも現役の頃は国際的な雑誌を出版する会社でご活躍なさっておられた方ですが、その彼が宇賀神先生のアドバイスをとても喜ばれ、この智慧をブログに書くべきだとまで賞賛くださったのです。

今、私自身が心に悲しみの蓋があると感じている今、宇賀神先生のこの言葉が思い出されました。

壁があると思ったときには壁はもう障壁ではなくなっているのと同じように、蓋があると思ったときにはもう既にその蓋は無いも同然なのだとしたら?

あとは蓋が蓋でなくなっていたと、私が気づくかどうかだけだとしたら?

あのときの宇賀神先生のアドバイスが、何年もたった今の私にぴったり当てはまるのだとしたら。

「禅機」

私はその時この言葉を「Zen chance」と訳してしまいました。

ですがこれを「Zen chance」と訳してしまったのは、宇賀神先生がおっしゃった本来の禅機の意味とは少しずれてしまっていたかも知れません。

今日のこの記事を書くために禅機を改めて調べてみますと、広辞苑では「禅者の自在な働き」というように説明されていました。

つまり、禅機とは、「禅(無我の境地)に至る好機」というよりは、「禅(無我の境地)から出る働き」を指すようです。

どうやら機は「きっかけ」ではなく、「心の働き」という意味で使われているようです。

ただ、その時の私のメモには「禅機=悟りに至る(気づく)チャンス」と書かれていて、うーん、私は宇賀神先生の言葉を書きとっていた段階で間違ったのでしょうか。

ですが、やはり本来の意味からしますと、私がchance(チャンス、好機)という言葉を使ってしまったのは、禅機を間違えて英訳してしまったと言わざるを得ません。(ごめんなさい。)

ちょっと、弘法大師空海様がおっしゃった「煩悩即菩提」(煩悩は即ち菩提である)と混同して、「悩み(煩悩)は解決(菩提、悟り)の種」というように解釈したためにchanceという単語を使いました。

宇賀神先生がおっしゃりたかった大体の文脈は正しく伝えられていて、しかもその相手の方は何か目の前が開けたかのように喜ばれ、結果としては良かったとは思うのですが、肝心の禅機の単語訳が違っていました。

英語力以前の問題で、禅機という言葉を知らなかった無知さゆえの間違いであったと悔やまれます。

ただその言い訳をさせていただけるのでしたら、やはり悩み(煩悩)は解決(菩提、悟り)への種には違いありませんから、その悩みに気づいたときは既に解決している(悟っている)と知るchanceなのかも知れません。

いえ・・・やはり言い訳がましいですかね。

この禅機の英訳まちがい問題はさておき、いずれにしましても、今の私が気づくべきことは、

「心を覆う悲しみの蓋は、在ると同時に無いもの。

それは私を守るために必要なものだったのかも知れないし、かと言ってそれに閉じ込められていると気にしなくてもいい。

もう既に蓋に捕らわれていないのだったら、自由自在の境地を楽しんでみては?」

ということでしょうか。

あのとき一所懸命英訳してお伝えしたことが、今になって私に必要な智慧になるとは思いもよりませんでした。

自由自在な心。

宇賀神先生のように、何ものにも捕らわれず、自由自在な心。

あの時の宇賀神先生のアドバイスをかみしめておりますと、悲しみの蓋が溶けていくような心持ちになります。

悲しみの蓋があると思った今が、無いと気づくZen chanceでありますように。

合掌

寄せては返す波のように

前回はそれこそ数年ぶりに宇賀神先生との楽しい思い出話をこのブログに書くことができました。

とても嬉しかったです。

正直なところ、宇賀神先生の楽しくて不思議な話を書きたいとこのブログを始めたはずですのに、今は何かを書こうとすると出てくる言葉は私の嘆きばかりで、宇賀神先生にも申し訳なく思っておりました。

ですがこの悲しさもまた私の、あるいは私と宇賀神先生との人生の一部ですから、とにかくこの思いを吐き出してしまおうと思っております。

そうしないと今の私は悲しみが心に蓋をしてしまっていて、宇賀神先生の楽しい思い出話も書けないような気がするのです。

悲しい思いも寂しい心も吐き出したその先に、パンドラの箱からすべての悪が出てしまった後に最後に希望が残っていたように、私にもまた楽しい話を屈託なく書ける日が来るかもしれません。

その日が来ることを願い、書き続けております。

そして今はまだ、前回のように楽しい思い出話を書いたり思い出した後は、必ず揺り返しが来ます。

感情の揺り返しがきます。

今はまだ誰にも会いたくないとほぼ引きこもりの生活をしておりますが、それでも両親や弟家族と会ったときは楽しくて自然とたくさん笑っています。

自分でもこんなに笑えるようになっているんだと驚くくらい、笑っています。

ですが皆と別れた後、この揺り返しが必ずと言っていいほどやってきます。

楽しかった分、不思議とその楽しい思いを相殺するかのように、その後にまた大きな悲しい思いが襲ってくるのです。

ただ、このような心の動きも、今は落ち着いて静観できるようになりました。

自分で自分の泣く姿を見て、

「あぁ、やっぱりまた色々なこと思い出してよけいに悲しいんだね。仕方ないよね。」

と静観しております。

「仕方がない。仕方がない。」

と自分に言い聞かせております。

宇賀神先生は、

「ポジティブ思考だなんて嘘だよ。」

とおっしゃっていました。

「ポジティブがプラスでネガティブはマイナスなんだったら、プラスばっかりがいいなんておかしな話だよ。」

と。

「そんなら試しに息を吸ってみろ。吸うことがプラスなんだから、吐いちゃだめだよ。吐くのはマイナスだから。吸って、吸って、吸って・・・吐いちゃだめ!なんて、無理な話だよ。」

と。

私からしましたら、超ポジティブな明るい宇賀神先生なのですが、その先生が揶揄するようにポジティブ思考は嘘くさいとおっしゃってました。

まぁ、宇賀神先生は世の中の風潮にはあまり流されない人でしたね。

ポジティブがいい!と叫ぶ世の中の風潮にも迎合しない人でした。

自分は超ポジティブ人間のくせに、ねぇ。

宇賀神先生から受け継いだたくさんの教えに、今でも救われております。

治療や加持祈祷といったことから、こんな小さな心の動きのことでも。

楽しい話をした後に、揺り返しでまた何故だか悲しみが心を襲ってきても、仕方がないと思えるようになりました。

息を吸えばその後は吐き出さないといけないように、プラスの後にマイナスが来てもいいのだと。

無理に笑ってばかりでなくていい。

自然に笑って、自然に泣いて、それでいい。

波も寄せたら返すのですから。

外で笑えたら、家で宇賀神先生の前で泣いておいたらいい。

寄せては返す波のように、息をして。

合掌

アメリカの龍穴でスーパーマンに助けられた話

前回の記事でスーパーマンがキーワードになって、歌に込められたメッセージに気づいたことをお話ししました。

それで思い出しましたのが、宇賀神先生と一緒に旅行したアメリカでスーパーマンに助けられてしまった話です。

宇賀神先生が佛様の国に旅立たれる前に書いた最後のブログ記事が「アメリカの氣を感じる」でした。

この記事の最後に「次回はアメリカの龍穴のことについて触れたいと思います」と書いたまま更新が止まってしまっていました。

その後の記事はすべて、宇賀神先生が佛様の国に旅立たれた後のものですね。

今日はその龍穴のことと言いますか、その龍穴でスーパーマンに助けられてしまったエピソードを書いてみたいと思います。

久しぶりに楽しい思い出話を書ければと思います。

ニューヨークの街を歩いていて、先の記事にありますように宇賀神先生が大きな大きな氣の流れを感じられて、それが噴き出してくる元、つまり龍穴(りゅうけつ)はどこだろうと地図をご覧になり、「ここに行こう。」と言われました。

それはどこかって、うーん、まぁニューヨークをご存じの方はすぐにピンと来られるのではないでしょうか。

やはり古くからの自然が残っていて、そこに行くと人々が楽しい気分になったり元気になる場所ですね。

敏感な方は何か特別なものを感じられるかもしれません。

その龍穴はちょっとした岩場の奥にありました。

こんな都会の中に、と少々驚きますが、それだけ何か大切な力を感じられて保存されてきたのでしょうか。

宇賀神先生は片目の視力を失っておられましたので、野袴に杖をつく格好で歩いておられました。

私は着物でしたし、足元は二枚歯の下駄を履いていました。

私は草履より下駄の方が好きでしたので、草履ではなかったのです。

やはり岩場で下駄はちょっと不安定でしたが、慣れておりますので、自分で言うのもなんですがお猿さんのように身軽に上手に下駄で歩けました。

宇賀神先生と手をつないで、お互いに支えあうようにその岩場を登っていきました。

すると周りにいらしたアメリカ人の方達が口々に

「Need any help?」(手助けはいるかい?)

と声をかけてくださいました。

さすがヒーロー精神とボランティア精神にあふれたアメリカ!とちょっと感動しましたね。

本当に何人もの男性が声をかけてくださいました。

とても嬉しかったですが、二人で歩けていましたので

「ありがとうございます!大丈夫です!」

とお答えして二人で歩き続けました。

龍穴はその岩場の奥にありました。

何とか杖と下駄でたどり着き、わりと長い間その場所に居たと思います。

宇賀神先生はそこで瞑想し、氣をとっておられました。

段々と日も暮れてきて、暗くなってしまっては足元が危ないですし、もう充分に氣もとれたからと、帰ることにしました。

ただ私は元来た岩場は帰るのには少々大変な気がして、別のルートで帰ろうと宇賀神先生に言いました。

そちらの方が少し簡単に行けるのではないかなと思いました。

ところが歩きはじめて、やっぱりこっちも大変な岩場かなぁと思い始めました。

ですが戻るのもまた大変ですし、戻って元来た道も同じ大変さかな、進むしかないかな、と迷いながら進んでおりました。

すると、どこからともなく颯爽と一人の若い男性が現れて、

「大変そうだね!手伝うよ!」

と、サポートを買って出てくださいました。

「きつい方のルートを選んじゃったね!」

と言われてしまいました。(やっぱり元来た道の方がまだマシなようでした。)

ちょっと薄暗くもなってきていましたし、岩場が思ったよりも危ないなぁと思っておりましたので、私は

「ありがとうございます!お願いします!」

と答えました。

するとその男性はなんと宇賀神先生を肩に担いで運ぼうとしてくださいました。

軍人さんか消防士さんかしら。

たしかにとても身軽でいらして、運動能力も高くていらっしゃいそう。

ですが宇賀神先生も歩けていましたので、

「彼は歩けるので大丈夫です!ただ、万が一こけそうになったら支えてあげてください。」

とお願いしました。

「オーケー!」

と、ほがらかに答えられ、彼はずっと最後まで宇賀神先生のそばについて見守ってくださいました。

幸いなことに最後まで危ない思いをすることなく岩場を降りることができて、平らな地面に戻ってくることができました。

日本人でしたらここで

「せめてお名前だけでも・・・。」

とお尋ねしたいところでしたのに、その人は安全な場所に着くやいなやクルッと踵を返して来たときと同じように颯爽と走り出されました。

まるでハリウッド映画で見たスーパーヒーローのようです。

困っている人がいるとどこからともなく現れ、助けたあとはお礼を言う間もなくサッと立ち去ってしまう。

本当に映画そのままのヒーロー精神でした。

しかも驚いたことに、まさかの彼のTシャツの背中には「S」の文字が。

そう、あの映画のスーパーマンの五角形に囲まれたSの文字が書かれていました。

私は思わず、彼の後ろ姿に向かって

「ありがとう、スーパーマン!」

と叫びました。

すると彼は振り向きもせずハハッと笑って手を振り、そのまま走り去られました。

アメリカの龍穴でスーパーマンに助けられちゃったよー!

と、ありがたいやら楽しいやらで宇賀神先生と大笑い。

なんて象徴的なんでしょう。

アメリカの氣がアメリカの人の気質を決定し、それはやはりヒーロー精神だったりボランティア精神だと思うのです。

国のカラーといいますか。

それを象徴するかのような出会いを、まさにその国の氣が噴き出しているところで体験しました。

ちょっとできすぎですよね。

宇賀神先生は本当に運が良く、また楽しい人でした。

一緒に暮らして一緒に旅しておりますと、喜劇のような楽しいことばかりでした。

旅なんて本当に珍道中という言葉がぴったりで、人生という名の旅もまた珍道中だったと言わざるを得ません。

あぁ、またあの楽しい旅を宇賀神先生としたいなぁ。

「夢は枯野をかけめぐり」

と歌われた松尾芭蕉さんのお気持ちが切ないほどよく分かります。

せめて夢の中だけでも、宇賀神先生とかけめぐりたいなぁ。

合掌

亡くなった人の思いが歌で届く

宇賀神先生の声を聞きたいと、その存在を強く感じたいと願っています。

先生が佛様の国に旅立たれてから2年たった今、ときどき声を聞いたかなと思える瞬間が増えました。

ですが2年前の今頃、宇賀神先生が佛様の国に旅立たれた日からそんなに時間もたっていなかったあの頃は、先生の声を聞くことは皆無だったように思います。

喪失感や悲しみに、文字通り押しつぶされそうになりながら日々を生きるのがやっとでした。

あの頃は大好きだった映画を見る気にもなれませんでした。

音楽でさえ聞くのも嫌で、クラシックやヒーリング・ミュージックといったようなものも聞けば少しは気がまぎれるのかと音楽をかけてみても、10分もしないうちにプチッと電源を切ってしまっていました。

心の余裕がどこにもないんだなと、自覚していました。

ところがある日、何の偶然だったか忘れましたが、スマホからある音楽が聞こえてきました。

私の知らない英語の曲で、若い方のポップミュージックのようでした。

一瞬聞こえた旋律に何故か心を強く惹かれて、どうしてもこの曲を聞きたいと慌てて曲名を調べました。

それがチャーリー・プースさんの「One Call Away」でした。

One Call Away、つまり「たった1本の電話ですぐにかけつけられる距離」という意味のタイトルです。

「たった1本の電話ですぐにかけつけられる距離だよ。だからいつでも呼んでおくれ、すぐにかけつけるから。いつだって君のことを助けるから。」

という、恋人への愛情を歌った歌です。

そして、

「君がどこへ行こうとも君はひとりじゃない。」

と歌っていました。

どんな美しい音楽も聞き入れられなかったあの頃、この曲だけは聞きたいと思ったこの感覚は、宇賀神先生が歌に乗せて心を届けてくださったからなんだと思いました。

だから強烈に聞きたいと思い、何の曲か慌てて調べたのです。

この曲のなかに

「スーパーマンだって僕には敵わない」

というフレーズが出てきます。

このスーパーマンという言葉、本当は思い出すのもつらいのですが、宇賀神先生が亡くなられたあの日、私の頭の中でぐるぐると回っていた言葉でした。

あの日、運び込まれた病院で、恐怖にうち震えながら宇賀神先生の生還を祈っていたあのとき、心の中で「どうやったら時間を過去に戻せるんだっけ」とぐるぐると愚かな問いを繰り返していました。

たしか古いスーパーマンの映画では、スーパーマンが亡くなった恋人を生き返らせるために地球を1秒間に7回転半逆方向へ巻き戻したんだった。

誰でもいいから、スーパーマンでもいいから、巻き戻して。

こんなことが起きる前の時間まで、巻き戻して・・・!

自分でも愚かな考えだと分かっていながらも、心の中でそう叫んでいました。

何度も何度も、そう叫んでいました。

もちろんその願いは叶いませんでした。

そして、あまりにもばからしい言葉で、あの日とスーパーマンなんて言う言葉の組み合わせが何とも滑稽で愚かなように思えて、このことは今まで誰にも言ったことがありませんでした。

こうして今、文字に表すのもつらく、涙が出ます。

ですが、One Call Awayを聞いて、何故か心惹かれて慌てて曲名を調べ全曲を聞いたとき、私はこれは宇賀神先生からのメッセージだと思いました。

私の心の中のスーパーマンという言葉をキーワードとして使って、歌に込められたメッセージに気づくように伝えてくださったんだと思いました。

ひと言名前を呼べばすぐに飛んでくる

いつだって助けるよ

ただ君に愛をあげたい

どこへ行こうとも君はひとりじゃない

綾野はひとりじゃない。

いつだって宇賀神先生が一緒にいてくださっている。

そう、宇賀神先生が伝えてくださったんだと思いました。

One callを、電話のコールではなく、名前をひと言呼べば、と言ってくれているように感じました。

悲しくて寂しくて世界を丸ごと失ったようで、どうしていいのか分からなかったあの頃。

宇賀神先生の声を聞きたくてもまったく聞こえなかったあの頃。

宇賀神先生が悲しみに強く閉ざした私の心に、歌に乗せてメッセージを届けてくださったのだと思いました。

One Call Awayの全曲を知ったとき、私はそう確信して、嬉しくて何度も何度もこの歌を聞きました。

今でも大好きな歌です。

そして最後のおまけがあって。

この歌の終わりの方に

「怖がらなくていいよ。(つらいときは)長くは続かない。」

というフレーズが出てくるのです。

私はこの部分を、ひとりで寂しい人生をそんなに長く生きなくていいのかも、と解釈しました。

宇賀神先生のいらっしゃらない世の中で、めちゃくちゃ長生きまではしたくないと心ひそかに思っています。

もちろん命を粗末にするつもりはなく、大事に生きていくつもりですし、今ある命に感謝しています。

ただ、100歳のような長寿も望んでいません。

宇賀神先生のいらっしゃらない世界は寂しすぎて。

それが、この歌が「寂しいときはそんなに長くは続かない」と言ってくれたような気がしました。

人間と言うのは、というより私と言うのは、矛盾したもので、永遠に長生きできないからこそ今ある命に感謝して大事に生きていこうとするのだと思っています。

宇賀神先生のいらっしゃらない世の中をそんなに耐えて長く生きなくて済むのなら、命のある間は感謝して生きていけると思えました。

宇賀神先生は今でも、言葉や声で聞こえるだけでなく、色々な形で思いを伝えようとしてくださっていると信じています。

どうかこの先も宇賀神先生からの優しいメッセージにたくさん気づいていけますように。

愛しているという私からのメッセージも、宇賀神先生に届いていますように。

と、書いた瞬間、

「届いてるよ。」

と聞こえた気がしました。

本当だったらいいな。

合掌

あの手が懐かしい

風邪を引きました。

幸いコロナやインフルエンザではありませんでしたが、数年ぶりにしんどい風邪を引いてしまいました。

熱が出て喉が痛くて身体のふしぶしも痛く、寝苦しかった夜、やはり思い出すのは宇賀神先生の優しい手でした。

以前、よく患者さんからは

「宇賀神先生の手を家に持って帰りたい。」

と言われていました。

宇賀神先生の手から出る「氣」がとても気持ちよく、お身体につらいところを持っておられる方達は、なおさら宇賀神先生の手に癒しの力を感じられたのだと思います。

今回の風邪でつらかった夜、その患者さん達のお気持ちをいやというほど思い知りました。

元気なときでも、たとえば道を歩いているとき、いつもつないでいた宇賀神先生の手を感じられないかと、そっと右手で空中をつかんでみたりしています。

「こうやって手をつないで歩いてたよね。」

と小声で言いながら、手に触れる感覚がないかと、見えない手をつないでいるようにしてみます。

宇賀神先生が生きていらしたときには私が車を運転する際に、よく助手席の宇賀神先生と手をつないでいました。

今乗っている車はオートマチック車ですので、曲がり角や山道でないときは片手で運転していても大丈夫でした。

その前に乗っていたキャンピングカーはミッション車でしたのでしょっちゅうギアチェンジをしないといけなかったのですが、それでもふと手をつなぎたいなと思ったときは助手席に手を伸ばしていました。

しばらく手をつないでいて、やはり左手をギアに戻さないといけないときは宇賀神先生がそっと私の手をギアのところに戻し、ぽんぽんと2回くらい優しく撫でて手を放してくれました。

優しかった宇賀神先生の手。

風邪で寝苦しかった夜はことさらに、宇賀神先生の優しい手が思い出されました。

今でも車に乗っているとき、宇賀神先生の手を感じないかと助手席の方に手を伸ばし、見えない手を繋ごうとしています。

そしてハンドルに手を戻すとき、宇賀神先生がぽんぽんと優しく手の甲を撫でてくれるのではないかと、その感触を探しています。

いつかその感触を強く感じる瞬間が来るに違いないと、あきらめていません。

合掌

胡蝶の夢

「胡蝶の夢」という荘子の詩があります。

学校で習った中国の古典文学で、私は荘子の持つ幻想的な世界観が好きでした。

「胡蝶の夢」の詩のなかで、荘周(登場人物の名です)は蝶になった夢を見ました。

その夢があまりにもリアルで、夢から目が覚めたときにどちらが現実でどちらが夢だか分からない、というのです。

夢の中の蝶であった自分が現実で、今の荘周である自分が蝶の夢の中なのではないだろうかと思った、と。

その感覚は、宇賀神先生が佛様の国に旅立たれてから2年たった今でも感じる感覚に似ています。

宇賀神先生の生きていらしたあの時が現実で、今が夢の中なのではないだろうか。

それならばちょっと悪夢みたいだから、早く目が覚めてほしい。

あるいは、生きていらしたあの時は夢でしかなく、今は・・・今は何?

宇賀神先生ご自身は、よく明晰夢をご覧になられました。

寝ているときの夢の中で、自分は夢を見ているという自覚があるのだそうです。

そして夢の中のストーリーを自分の思う通りに展開させられるとおっしゃっていました。

たまに思いがけず悪い夢を見てしまったときは、

「かたきを取ってくる!」

と、もう一度寝なおして、その後自分の思い通りの結末を迎えられる夢を見ておられました。

私はいいなぁ、といつも羨ましくその話をお聞きしていました。

どうしたらそんな風に夢をコントロールできるんだろう。

人間は誰でも毎晩夢を見ていて、「私は夢を見ていない」と思っても、本当はただ覚えていないだけだそうです。

私も布団に入って横になったらあっという間に眠りに落ちて、夢なんてほどんと覚えていません。

ただ、最近はちょっと夢を覚えていることもありますが、あまり楽しい夢ではないような気がいたします。

また、子供の頃の宇賀神先生は学習困難児で、多分ですが今で言うところの発達障害を持っておられ、あろうことか担任の先生には「異常児」の烙印を押されていました。

その頃よく学校の先生に言われていた言葉が、

「宇賀神!夢は寝てから見ろ!」

だそうです。

学校の教科書の表紙に行ったこともないアメリカのハイウェイの写真が載っていて、それをぼーっと眺めているとそのハイウェイの景色が展開していくのだそうです。

自分がまるで車に乗ってそのハイウェイを進んでいるかのように、その先に現れてくる建物の鎧戸のペンキが剥がれて風に揺れている様まで見えてきたんだ、と。

それを「教室にいて目を開けながら眼前に見ていた」とおっしゃるのですから、そりゃあ学校の先生に「夢は寝てから見ろ」って言われてしまいますね。

目を開けたまま寝ているみたいです。

荘子ほど高尚な詩で表したわけではありませんが、私は宇賀神先生のその夢見る力と荘子の「胡蝶の夢」の境地は、どこか相通じるものがあると思っています。

そしてその夢見の力は、その先の霊視や霊感と言った能力にも結びついていくと思っています。

どうせ今の現実がどこか現実味を持たず夢のようにしか感じられないのなら、せめてもっと夢見る力を持てないものだろうか、と願っています。

そうしたら、宇賀神先生が神様や佛様、亡くなった方達ともお話しなさっていたように、私も宇賀神先生ともっとたくさんお話しできるようになるかもしれない。

いえ、その前に、せめて夢の中で宇賀神先生にお会いしたい。

どうせすべてが夢でしかないのならば、せめて。

合掌

あの世からの冗談

今日はどんなブログ記事を書こうかと思いながら前回のブログ「死後の世界」を読み返しておりましたら、思いもよらない宇賀神先生のお言葉が聞こえてきました。

前回記事の、「これが死後の世界であると『確信とも言える感覚』『本能で知っていたというような感覚』で感じました」というくだりを読んでいたときです。

宇賀神先生いわく、

「でもコロンブスは1492年に発見したアメリカ大陸を『ここがインドだ!』と確信したのに、間違えてたんだよ。

命がけの大いなる勘違いだったんだ。

だから昔はアメリカ先住民のことをインディアン(インド人)て呼んでたはずだろ。」

と。

つまり、命をかけて大航海をしたコロンブスの命がけの確信が勘違いだったように、私の本能の確信ももしかしたらアテにならないかもよ?とおっしゃったのでした。

私は思わず、

「えっ、マジで!?」

とびっくりして言いました。

もちろんそのコロンブスの勘違いの話は知っていますが、それを持ち出してきて私のも同じように大いなる勘違いかも、って言うなんて、本当にそうなの?

私の「本能の確信」も、実は単なる大いなる勘違いだったの!?

ぎえーーー、マジですかぁあー?(もう公然とブログに書いちゃったよー!)

すると、びっくりした私を見て笑っておられる宇賀神先生を感じました。

あっ・・・からかわれたの?

と、もう一度びっくり。

いつもはあんなに私を包み込むような優しさしか感じない宇賀神先生の存在ですのに、今日は一瞬私をからかって面白がっておられるような気がしました。

あの世から冗談を言ってからかわれるだなんて。

こんなこともあるのかと、目をぱちくりさせて、しばし呆然とした後、にやにやしてしまいました。

宇賀神先生は生前、よく神様や佛様、あるいは亡くなった方とも話しをしておられました。

それは何も特別なことではなく、日常茶飯事の当たり前のことのように話をしておられました。

ただ、例えば自分は神様のお言葉をお聞きしたと思っていても、証明できるわけでもなく、本当なのかただの思い込みなのかは紙一重だったりするわけです。

本当に聞いたのか自分の欲望や思い込みで聞いたのか、自分自身を含め誰にも分からないから、だからこそ「薄氷を踏むように」慎重にしていくのですが。

ですがそんななかでも、例えば神様から思わぬことを言われたとき、自分が想像だにしなかったことを神様から言われたとき、それは思い込みでなく本当にお言葉が届いた可能性が高い、と宇賀神先生はおっしゃっていました。

私は「本能で知っていた感覚」とまで確信していたことを、まさかコロンブスの例を持ち出して大いなる勘違いかもよだなんて言われるなんて、思ってもみませんでした。

ましてや、そうやってからかっておいて、びっくりした私を見て笑っておられる宇賀神先生の楽しそうなお心を感じるだなんて。

自分でも思ってもみなかったことですから、これは本当に宇賀神先生のからかわれるお言葉を聞いたのかも。

(そしてもちろんこれも大いなる勘違いでありませんように!)

私は、めちゃくちゃ嬉しくなりました。

今日はまたひとつ、宇賀神先生のことを感じることができたよ。

嬉しかったぁー・・・。

しかも佛様の国に行ってもお茶目さを忘れないなんて!

さすが宇賀神先生。

また、いつでもそうやって私に話しかけて。

からかってくれてもいいから、楽しくそばにいて。

幸せに笑っていて。

いつでも声を聞いて、宇賀神先生のことを感じていたいよ。

ああ、今日はちょっと楽しい気分で寝られそう。

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

宇賀神先生。

合掌