いつもいつも探している

昨日はなぜかとても不安な一日でした。

前回お話ししたように、春の氣とともに宇賀神先生のことを強く感じていると思っていたのに、昨日はなぜかその感覚がとても希薄でした。

どうして?

どこ行ったん?

もう、おらへんの?

それともまた私が分からなくなっただけ?

一日中、不安な気持ちでした。

また、ひとりになってしまったような。

そして夜になり、寝室に行きますと、ふと宇賀神先生がしていらした手袋が目にとまりました。

その手袋を手に取った瞬間、

「あっ・・・やっぱりここにいる。」

涙が溢れてきました。

そしてまた、手袋を持つ私の両手を包み込むような、宇賀神先生の温かい手を感じました。

別に宇賀神先生が手袋になられたわけではありませんが、手袋に触れた瞬間に、「ここにいる」という感覚を取り戻せました。

この感覚はなんだろう、と思います。

見失って、また見つけて。

不安定な、この感覚、この思いは。

いつもいつも、宇賀神先生のことを探している気がします。

どこにおるん?

ちゃんとここにおる?

離れんといてくれてる?

・・・・・・

今朝になり、いつものようにお佛壇に飲み物をお供えするのに宇賀神先生のお写真を見たとき、

「今日は、いると感じられる。」

と思いました。

よかったぁー・・・。

私はこうやって一生、宇賀神先生のことを探し続けるのでしょう。

ずっとそばにいて欲しいあまり、本当にいてくれているのか不安になる、矛盾した私の心よ。

弱くてもろくて、触れた瞬間に泣き崩れ落ちてしまいそうになる、私の心よ。

どうかどうか、見失ったと思って不安になっても、またすぐに見つけられますように。

またすぐに、宇賀神先生が気づかせてくれますように。

鈍感な私にも分かりやすいように、いつもちゃんとその存在をアピールしててよ。

ほんとやで。

合掌

涙のワケ

“All nature seems to enjoy that Spring has come.”

直訳しますと、「すべての自然が春の訪れを楽しんでるようです。」となります。

なんとも無粋な日本語訳で申し訳ありませんが。

これは大正6年生まれの祖母が、女学校の卒業式に英語で答辞を読んだときの冒頭の一文です。

わが祖母ながらすごいなぁと思いました。

昭和生まれの私の中学、高校の卒業式でも英語で答辞だなんて聞かなかったのに、大正生まれの祖母が英語で、ですって。

ハイカラですねぇ。

外を歩くと、春の気配を感じる今日この頃です。

まさに祖母の答辞のように、周りの自然が春の訪れを喜んでいるのを感じます。

春はよく「萌え出づる春」と言われるように、冬を越した草木が伸びはじめたり花がたくさん咲きはじめたりと、命の芽吹きを感じる季節ですね。

それにともない、やはり草木の「氣」という生命力も一番強く感じやすいように思います。

なんと言うか、萌え「出づる」の文字通り、冬の間は内に秘めていた生命力という氣が、外に向かってまさに出てこようとする気配といいますか。

その、溢れ出ようとする氣をとても強く感じます。

本来でしたらそれはとても素晴らしい春の気配なのですが、

今の私にとりましては同時に涙を誘われる氣でもあります。

今までは宇賀神先生がいない寂しさに泣いていました。

もちろん今でも寂しいですし、悲しいです。

ただ、最近はそれと同時に、宇賀神先生と一緒にいる幸せも感じて泣いているのではと思うようになりました。

つまり、宇賀神先生を失った喪失感と宇賀神先生と一緒にいる幸福感を、同時に感じているような気がするのです。

矛盾していますけれど。

前回の山川草木悉有仏と同じことですが、春の氣の中に宇賀神先生を感じて仕方がないのです。

その春の氣が、結構な密度でもって周りに充満していて、なので結構な密度で宇賀神先生に囲まれているような気がして仕方がないのです。

咲いている梅の花の香の中に宇賀神先生を感じて、神社にいる鳥の鳴き声の中に宇賀神先生を感じます。

暖かい日射しにも、プランターの花にも緑の葉の中にも、宇賀神先生を感じます。

その包み込むような存在感に圧倒されて、私は泣きながら道を歩く羽目になるのです。

道行く人に泣き顔を見られたくないからマスクをして歩くのですが、どちらかというとサングラスが必要ですよね。

涙目を見られないためには。

ですがマスクにサングラスでは完全に怪しすぎて銀行強盗でもするのですかと言われそうですし。

悩ましいところです。

冗談はさておき。

春の氣にこんなに泣く羽目になるとは思いませんでした。

外を歩くのもためらわれます。

まあ、でも悲しいだけの涙でなくなったのはありがたいことと思っています。

私にとっての幸せは、今も以前も宇賀神先生と一緒にいること。

その幸せを再び感じられるようになってきたのですから。

少しずつ、少しずつですが。

「ずっと一緒やで。」

今でも毎日、こう話しかけています。

夜寝るときは、宇賀神先生を抱きしめて寝ています。

泣くときは、宇賀神先生を抱きしめて泣いています。

寝ているお布団に宇賀神先生が最後に着ていらした服を置いているのですが、昨日の夜その服を、宇賀神先生の背中を撫でていたときのように撫でると、その私の手に重ねるように置いてくれた宇賀神先生の手を感じました。

温かい手でした。

また泣いてしまって、翌朝に目が土偶のように腫れませんようにと願いながら寝ました。

私はきっと幸せ者なのでしょう。

これからもずっと、宇賀神先生と一緒にいる幸せの涙を流せますように。

合掌

山川草木悉有仏 (あらゆるものの中に見い出す)

つい先日、宇賀神先生の声を聞きたい聞きたいと願っている私に対して、ある人からとてもありがたいアドバイスをいただきました。

この世界の美しさ、空の青さや日の光の明るさ、自然の山の木々の美しさを心から「ああ、美しい」と感じて喜ぶ、その先に宇賀神先生の言葉が聞こえる瞬間があるのではないか、と。

そしてそれはもちろん、私自身がそう感じることで心慰められて心豊かになり、幸せに生きられることを宇賀神先生が望んでおられることでもあるのでは、ともおっしゃいました。

とても嬉しかったですねぇ。

その通りだと思いました。

悲しみでいっぱいの心で宇賀神先生の声を聞きたい聞きたいと願うのではなく、この世界の美しさに心開いている先に、宇賀神先生の心が届く瞬間もあるのかも知れないと、本当にそう思えました。

どうやら、

「宇賀神先生は一所懸命あやのさんに話しかけているんだけど、なかなか言葉を受け取ってもらえないみたい。」

というのが何人かの人達(いわゆる霊感があると言われている人達)の共通認識で、私自身も薄っすらとそう感じていて、多分真実なのかなと思っています。

ただ、

「じゃあ、宇賀神先生が一所懸命話しかけているのは分かるけど、どうやったらちゃんと受け取れるようになるのよー!」

という思いでいっぱいだったのですが、この悲しみでいっぱいの心が、逆に宇賀神先生の言葉を聞き取れなくしてるのかなと思いました。

よく、「悲しみで『閉ざされた』心」という風に表現しますよね。

たしかに、扉が閉ざされたままでは、お届け物も受け取れないよなぁ、と。

玄関先までせっかく届けてくれてても、扉を開けないことには家の中に入ってきませんよね。

でもね、言い訳したいのだけれど、悲しくて悲しくて仕方がないのですよ。

それは、どうしようもないのですよ。

あるいは、言葉で届くときだけでなく、心が直接届くときもあると思い、私自身もブログでそうお伝えしましたが、

「宇賀神先生がよくそうなさっていたように、言葉で明確に(神様や佛様や宇賀神先生と)話をしたい」

と、こだわるあまり、言葉という媒体でなく心やイメージで届いたときに受け取り拒否していたのかな、とも。

もったいない!

せっかく思いを伝えようとしてくれてたのに。

と、こんなことをぐるぐると考えていて、冒頭の人からのアドバイスに触れたときに、ひとつのことを思い出しました。

宇賀神先生が佛様の世界に帰られてから、あれは去年の初夏のことだったか、いつ頃のことだったか、はっきりと覚えていませんけれど。

ある時期、何もかもが宇賀神先生そのものであるかのように感じられたことがありました。

例えば私はいつも出かける際に玄関のドアを閉めるとき、家に向かって

「お家さん、行ってきます。後をよろしくお願いします。」

と心の中で声をかけて出かけます。

いえ、すみません、本人は正常な49歳の常識的社会人のつもりでおりますよ。

ですが、その一時期、私が「お家さん」と呼んでいる家が、家なんだけどイコール宇賀神先生でもあるような気がしてびっくりしたことがあるのです。

それと同様に、いつも乗る車や他もモノも、果ては宇賀神先生と行った近所の公園の風景(事象)や、そこに飛んでいる虫にも、宇賀神先生を感じて戸惑いました。

「こんなにたくさん、あらゆるものが宇賀神先生であるように感じて、どうすればいいのだろう。やっぱり悲しすぎて頭が混乱しているのかな。」

と本当に自分でも訳が分からなかったです。

とりあえず車さんには、

「車さん(イコール宇賀神先生)、今日も守ってね。よろしくね。」

とダッシュボードをなでなでしながら声をかけて運転してましたが。

でも公園で自分が座っているベンチや景色そのものまでもが宇賀神先生って一体・・・と。

悲しみに絶望していた私にとりましては、よく分からない感覚だと戸惑うばかりでした。

あらゆるところに宇賀神先生を感じたいと思い詰めているのかな、と、ぼんやり思っていました。

それでつい先日、冒頭の人のアドバイスをお聞きしてから、しばらくして「あっ・・・。」と気づきました。

もしかしてあれこそが、あの感覚こそが、宇賀神先生からかつて教わった

山川草木悉有仏(さんせんそうぼくしつうぶつ)

ではないかと。

ネットで検索しますと、

山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)

などと、また私の記憶とは少し違うように表記されています。

いい加減な記憶ですみません。

言いたいことは同じで(多分)、世の中のあらゆる物や事象のなかに佛様(あるいは佛性(ぶっしょう))が宿っているということなのですが。

あらゆるものの中に宇賀神先生を感じるということは、あらゆるものの中に佛様となられた宇賀神先生を感じるということで、それはつまり、神様佛様を感じることで、あらゆるものの中に神様佛様がいらっしゃるのと同じで・・・ええっと。

いや、いらっしゃると言っても例えば咲きかけている花のつぼみをこじ開けても、かぐや姫のように佛様が出てくる訳ではなくて、佛様の本質、佛性(ぶっしょう)が花の存在そのものに宿っているので、花がイコール佛様だし。

公園で見るいつもの平和な日常の風景、子供が楽しそうに遊んでいる、向こうに座って休んでいる人がいる、雀が木の枝にいる、そんな風景そのものが佛様だから思わずその風景に手を合わせそうになっていたり。

なので自分が座っている公園のベンチも宇賀神先生だから、そのベンチから立ち上がるのは宇賀神先生から離れるみたいで寂しくて、立ち上がり際にベンチをなでなでして「また来るね。」と声をかけて、「でも宇賀神先生は私と一緒に帰るのよ。だってずっと一緒だから。」と同時に思ったり。

でもベンチの宇賀神先生と、私と一緒に帰る宇賀神先生は分裂したのではなく、ぜんぶ繋がっていて、それに帰り着いた先の家も宇賀神先生だから、と。

何だかそんなような、もう自分でも訳の分からない感覚にみまわれた時期がありました。

自分で、

「可哀そうに。ちょっと頭も混乱してるよね。私はそんなにまでして宇賀神先生を感じたいんだなぁ。」

と、自分自身のことを心の中で慰めていました。

ですが、もしかしたら、その感覚が、その感覚こそが、宇賀神先生の教えてくださった「山川草木悉有仏」なのかも知れない。

きっとそうに違いないと、つい先日、気づきました。

その一時期、私は頭が混乱していたのではなく、山川草木悉有仏であるということを、頭で概念を理解するのではなく、自身の心と身体を通して実際の感覚として感じてられていたのかも知れない、そう思いました。

いえ、もしかしたら激しく間違っているかも知れませんが、もうそういうことにしてしまおうというのが今の私の本音です。

山川草木悉有仏

あらゆるものの中に佛様を見い出す

あらゆるものの中に宇賀神先生を見い出す

そしてそれは

私自身の中にも佛様を見い出す

私自身の中にも宇賀神先生を見い出す

ということは、

だから宇賀神先生とずっと一緒にいられてる!

ということなのだ。

そう思っていいんや!

(結局結論をここへ持ってきたい私。)

何か若干、結論にズレが生じてきている気もいたしますが、とにかくこの「山川草木悉有仏」という気づきは私にとりまして大きな大きな気づきとなりました。

もうすみません、きっと今日のこの記事は支離滅裂な文章になっていますよね。

ひとりで勝手に興奮して書いている気がします。

あっ、でもいいか。

「ひとりで勝手に」じゃなくて宇賀神先生も一緒だから。

(やはり結論はここ。)

いえいえ、真面目な話、あらゆるものの中に佛様は宿っておられて、その佛性を見い出したときの世界の美しさよ。

またあの感覚を思い出して、神様佛様、宇賀神先生に囲まれて繋がって私は生かされているのだと、これから先のどの瞬間もそう思って生きていけますように。

合掌

橋渡し

宇賀神先生は加持祈祷を生業となさっていました。

この場合の加持祈祷とは、真言宗のお作法にのっとり「手に印を結び、口に真言を唱え、心中に佛を加持して」人々の(病気や災難を除くなどの)願いを叶える、ということです。

そしてその下支えともいうべき大事な要素として「氣」の力を重視しておられました。

加持祈祷が本当に効果があるのかどうかを考えるとき、「法力」という単語が頭をかすめる人もいらっしゃるのではないかなと思います。

つまり、ある決まった儀式儀礼をして佛様に祈るわけですが、それが本当に効果があって願いが叶うかどうかは、儀式儀礼をする人間の法力が強いかどうかにかかっているのではないか、と。

ある人が儀式を行ってもあまり効果ははっきりしないけれど、この人がすると何かが具現化することが多い、というような。

法力、もっと俗的な言葉を用いるのなら念力、というような力のことですね。

宇賀神先生ご自身は、その法力や念力というものに強くこだわられて、お若い頃はとくに「力の強さ」を願ってお修行なさっておられたようです。

私はその頃はお会いしていませんが、当時のお話しをお聞きしますと、法の力、念の力、氣の力を求め、身体を鍛えたり膨大な知識を得ようとしたり行法を修したり、弘法大師空海様も山野に入りお修行なさったように、何かこう、目には見えない力を追い求めておられたようです。

求道、というのですかね。

その頃の宇賀神先生を見てみたかった気がします。(その頃の私は多分、幼稚園児くらいの年齢でした。)

果たして求めたものにたどり着かれたのか、まだまだ道半ばと思われていたのか、とにかくやがてたくさんの人様からその力の恩恵にあずかろうと頼りにされて、宇賀神先生は多くのご依頼をいただくようになりました。

そしてなんのツテもなく仙台から大阪に出てこられ、5年もたたずに宗教法人を設立するまでになられて、当時のお力、勢いはさぞやのものだったのでしょうと、想像に難くありません。

そんな宇賀神先生は、やはりその風貌も独特の雰囲気というか、オーラというか、知らない人が宇賀神先生をご覧になられても、「あれ、この人は何かちょっと違うな」と感じ取られるものをお持ちでした。

別に宇賀神先生が尊大で偉そうな態度をとられるとかそういう訳ではないのですが、周りの人は自然と宇賀神先生のちょっと普通とは違うオーラを感じられることが多かったように思います。

そしてそれは同業他社である、加持祈祷を生業となさるお寺さんでもそうでした。

敢えて名前は言いませんが、どちらも優に1200年の歴史のあるとても有名なふたつのお寺さんに、ご縁あってお参りさせていただいたときのことです。

ひとつのお寺のご住職様と、もうひとつのお寺の次期住職様に

「私には特に法力などというものがある訳ではないのですが・・・」

と、同じようなセリフを言われて内心びっくりしたことがありました。

別にそんな深い話をしていたわけではないのです。

もちろん「ご自身に法力があると思われますか?」なんていう愚かな質問をしたわけでもありません。

当時私はご縁のあった神様や佛様のお守りをいただくのをとても楽しみにしていて、そんな際の軽い会話の中で、しかも何故か宇賀神先生にではなくお二人とも私に、ポロッとそんなことをおっしゃったのでした。

多分お二人とも宇賀神先生をご覧になり、何か同業者のような雰囲気と、しかも「法力があるのでは・・・」とまで直感なさったから、あんな風に私におっしゃったのかなと思いました。

私はとても歴史あるお寺さんなのに、と、お二人の謙虚さに心打たれました。

そしてお寺さんを後にしてから、宇賀神先生と二人になったときに尋ねました。

「さっきね、実は住職さんが私にこんなことを言わはって・・・」と。

「それで、やっぱり法力のある・無し、ってあるんかな?」と。

すると宇賀神先生は、

「さあ。でも佛さんへの橋渡しだから。」

とおっしゃいました。

ちょっとびっくりして、でもちょっと腑に落ちました。

びっくりしたのは、宇賀神先生はあれほど法なり念なり氣の力というものを追い求めてこられたはずなのに、先生の答えは法力のある無しはさほど重要ではないとでも言うような口ぶりだったからです。

そして腑に落ちたのは、そのどちらのお寺さんでも、私は佛様に出会えて涙し、このお寺さんの佛様は本当に素晴らしく、また、それはその佛様をお守りしている人達の真心が素晴らしいからだと感じていたからです。

橋渡し、か。

法力のある無しという尺度は置いといて?

と、宇賀神先生のお言葉を印象深く覚えています。

そして今、私自身も、そんな橋渡しに少しでもなれればと思ってお祈りすることがあります。

例えばご病気を患っておられた方で、今でも宇賀神先生のことを慕って心の頼りにしてくださる方がいらっしゃれば、そしてそんな方からご連絡いただくようなことがあれば、毎日のお勤めの際などに宇賀神先生にそっとお願いしています。

およそ法力などと呼べるものは私には無いけれど、もしかしたら宇賀神先生とご縁のあった方達と宇賀神先生への橋渡しなら少しはできるかもと思って。

最近はふたつの嬉しいご報告をいただきました。

お一人は受験の合格と、もうお一人は就職が叶ったことと。

「宇賀神先生と綾野さんのおかげです!」

なんて喜びのメッセージをいただいてしまって、もう、また泣いちゃいますよね。

そんな純粋な人たちの純粋なお心がこの橋(私)を渡って行って、宇賀神先生や神様佛様に届けばいいなと思っています。

いえ、もしかしたら私という橋を渡らなくても、純粋なお心は宇賀神先生や神様佛様に直接届きますよね。

きっと。

宇賀神先生、よかったねぇ。

今でも、宇賀神先生のことを頼りにしてくだる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のことを慕ってくださる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のためにお祈りしてくださる方達がいらっしゃるよ。

ありがたいねぇ。

合掌

10億円の当たりくじ

前回ご紹介した神泉苑で、宇賀神先生の純粋な心にハッとさせられ。

では私はどうしたかと言うと、ですね。

お恥ずかしながら。

そう、それでも、出家とは名ばかりの私は、

「いえいえ、お寺さんから直々のご許可のある願い事のチャンスなんて滅多にないこと。大変、たいへん恐縮ですが、今回ばかりは何卒お許しいただきたく・・・。」

「だってだって、私はこの素晴らしい心を持つこの人を、世界中の博物館に連れて行ってあげたいのです。しかも長時間のフライトは宇賀神先生もしんどいのでフルフラットのシートで寝られる、ファーストクラスの飛行機で。」

「そしてそして、日本国中の氣の強い温泉にも連れて行って、好きなだけ湯治させてあげたいのです。」

「そのためにも、ぜひ宝くじで億のお金が当たりますよう、何卒、なにとぞよろしくお願いいたします・・・!!」

と、お願いしようと固く決心しておりました。

我ながら単純すぎる(かつ欲張りすぎる)願い事だと思いましたが、それ以外の願い事はありませんでした。

というのも、ありがたいことに私はすべて満たされて幸せだと、自分でも思っていたからです。

宇賀神先生が元気で幸せに笑って生きてくれている。

楽しく仕事してくれている。

私の両親も弟家族も皆元気に幸せに生きている。

私も宇賀神先生と一緒に幸せに暮らせている。

雨風をしのげる温かい家と、毎日のご飯と、着るものと、必要なものもすべて与えられている。

本当に、ありがたいほど恵まれた幸せな人生だなぁと思っていました。

あともし足りないものがあるとすれば、ファーストクラスの飛行機に余裕で乗れるくらいの、自由になるお金くらいか、と。

うーん、さすがに罰当たりな欲望ですよねぇ。

しかも宇賀神先生の勉強会で、「願ったことは100%叶えるのは難しいとされているから、願望の120%くらい願ってやっと30%到達くらいの可能性だ(ちょっと正確な数字は忘れてしまいました。すみません。)」と言われた記憶がありまして。

そうか、なら10億円くらい願わないと1億円すら到達しないかもと、10億円お願いすることにしました。

いえ、笑ってバカにしてくださって結構ですよ。

でも私は、本当に宇賀神先生をファーストクラスの飛行機に乗せて、大英博物館や世界中の博物館に連れていきたかったのです。

本気で、このばかばかしいお願いをしようと思っていました。(恥ずかしいから宇賀神先生にも内緒で。)

それで、行きました。

生まれて初めて、善女龍王様をお祀りしている神泉苑へ。

少なからぬご縁を感じ、お会いしたいと思っていた佛様でした。

ゆっくりと善女龍王様にご挨拶させていただいてから寺務所でお守りをお授けいただき、いざ池の橋を渡りに行きました。

思ったより大きいお池に、綺麗な朱色の欄干の丸い橋がかかっていました。

お守りを胸に、この橋を渡るのか、とワクワクしましたね。

橋自体はそんなに長いわけではありませんので、楽しい気分を味わいながらゆっくりと渡りたいなぁと思いました。

そして宇賀神先生に先に行ってもらい、そのすぐ後に続きました。

ちょうど丸い橋の真ん中の一番高いところに来てお願い事をと思った瞬間、目の前の光景に、私はまた文字通りの衝撃を受けました。

「あっ・・・もう、10億円の当たりくじ(人生)に当たってた・・・。」

なんかもう、ばかばかしいくらいめでたい人間だと自分でも思いますが。

目の前の光景を見て、本当に心底、もう既に10億円が当たったような素晴らしい価値のあるものをいただいていたんだということに、今更ながらの衝撃を受けたのでした。

目の前の光景とは、

穏やかな日差しのもと、神聖な場所の神聖なお池に、佛様がいらして、鳥の声が聞こえていて、龍をかたどったお舟が優雅な姿を見せていて、綺麗な朱色の橋の欄干が鮮やかに見えて、そして私のすぐ目の前に大好きな宇賀神先生がいてくれてる。

宇賀神先生が幸せに笑ってくれていて、いつも一緒にいられる。

ここを、この世を天国と言わずして、どこに天国があるのだろう。(佛教徒なら極楽と言うべきか?)

本当に、言葉を失いました。

すぐに、心の中で葛藤が始まりましたねぇ。

「どうしよう・・・。欲しい、くださいと願おうと思ったものはもう既にいただいていましたなんて、もうこれ以上お願いできない?いやいや、でもファーストクラスが・・・。いやいや、でももうもらってるよ・・・。どうしよう。ありがとうございます。本当に、美しい世界です。幸せすぎる人生です。でも宇賀神先生を大英博物館に・・・。」

何という単細胞な葛藤でしょうねぇ。

でも、これが嘘偽りのない、背伸びの無い等身大の私の心です。

恥ずかしくて尼僧のはしくれです、だなんて口が裂けても言えませんね。(言ってる。)

「願ったものは、もう既に与えられていました。」

という言葉をどこかで聞いたことがあります。

それに気づくことが、満ち足りた人生を歩む方法なのだと。

まさにその通りでしたねぇ。

もう既に、願おうとした10億円の当たりくじに、いえそれ以上のものに、当たっていたなんて。

神泉苑の橋の真ん中で、気づかされました。

では、今となっては。

その、私が大好きで大好きで仕方のない宇賀神先生が阿字のふるさとへ旅立たれた今、私はせっかく当たった10億円の当たりくじを失ってしまったのでしょうか?

せっかく、せっかく当たったって、あんなに喜んでたのに?

私はその当たりくじは、失くしたとは思っていません。

宇賀神先生がよく勉強会でおっしゃっていたように、「天の銀行に預けてある」と思っています。

宇賀神先生は功徳を積むことを天の銀行に預けるというように例えておっしゃっていたように思いますが、私は私の当たりくじを天の銀行に預けているのだと思うようにしています。

ちょっぴりやせ我慢も入っているかも知れませんけれど。

そしてこの私の天の貯金は、私が死ぬときにまた返してもらうのです。

私が死んだらまた、宇賀神先生に会えるから。

そのときに最高の当たりくじがまた、私のもとに返ってくるんだ。

それまでちょっと、天に預けておこう。

合掌

「これだけよくしてもらってて、これ以上何を望む?」

神泉苑(しんせんえん)というお寺さんが京都にあります。

お大師さん(弘法大師空海様)が勅命を受けて雨乞いのご祈祷をなさったことで有名なお寺さんです。

その際、お大師さんは善女龍王様という佛様を勧請なさり、見事日照りの続いた日本に雨を降らせられたのですとか。

以来、神泉苑のお池には善女龍王様がお住まいになられるそうです。

私は以前からこの善女龍王様に少なからぬご縁を感じていて、善女龍王様が祀られている神泉苑に宇賀神先生と行こう!という話になったとき、とても嬉しかったです。

しかも人に聞いた話では、神泉苑には善女龍王様のお守りが売られていて、そのお守りを胸に、ひとつだけ願い事をしながら池の橋を渡ると願いが叶う、とされているのですとか。

なんと、公然と「お願い事をしてもいい」と、お寺さんの方からオファーなさっているだなんて!

もう絶対に行きたいと思いました。

宇賀神先生の勉強会ではいつも、

「神様や佛様にお参りしたときにはお願い事はしない。ありがとうございますという感謝を伝えるんだよ。」

と教わっておりました。

神社仏閣へのお参りは、いつもいつも「お礼参り」というスタンスであるように、と。

長年そう教わっていた私にとりましては、神様佛様へのお願い事はある種のタブーのような気がしていました。

そんな、自分の小欲からくるような欲張りなことを神様や佛様に言ってはダメ、と。

たとえ家族の幸せを願うにしても、もしかしたらそれも自身の小欲であるかもしれないと、不謹慎なような気がしていました。

もちろん欲張りな願いは山ほどあるのですが、それをお願いしたい気持ちはぐっとこらえて、お参りの際はいつもいつも「ありがとうございます。」とお伝えするようにしていました。

なのに、神泉苑では、お寺さんの方から「お願い事をしてもいいですよ」の許可が出ているなんて!

これは千載一遇のチャンスとばかりに、たったひとつだけ許されるお願い事は何にしようかと、頭の中で妄想を膨らませていました。

でも、このときだったのではないかなと思います。

この、神泉苑にお参りさせていただいたとき。

お参りする前だったか、後だったかは忘れましたけど。

宇賀神先生に尋ねました。

お寺さん直々の許可のもと、宇賀神先生は何をお願いするの?、と。

すると宇賀神先生は答えられました。

「これだけよくしてもらってて、これ以上何を望む?」

と。

「え・・・っ。」と、ちょっと私は一瞬雷に打たれたような、ショックを受けました。

おばかな私はそのとき初めて本当に理解したのです。

勉強会で教わった「神様佛様にお願い事はしない」というのは、タブーとかルールとか、神様佛様に対するマナーとか、そんな問題じゃないんだと。

宇賀神先生の素直な心からくる、ただただ素直な心からくる、感謝の表れなんだ、と。

そして宇賀神先生は、本当に素直な、幼い子供のように純粋な心で、神様佛様と繋がっておられるのだと。

私たちが得度させていただいた真言宗には加持祈祷というものがあります。

儀式儀礼を行い、それにより願いを成就させるという。

お大師さんが神泉苑でなさった雨乞いのためのご祈祷もまさにそうですよね。

それはもうプロとして、成就させなければいけない(佛様に願いをお聞き届けいただきたい)と思うわけです。

もちろんお大師さんの場合は人々のためという大欲のもとに行われたのですが。

私のような自身の取るに足らない小欲のためでなく。

宇賀神先生も真言宗の阿闍梨となられ、加持祈祷もなさいますし、私も少しくは宇賀神先生から加持祈祷を習いました。

そのお作法のなかで佛様に(願いなどを心に持って)ご祈祷することと、お参りして佛様にお会いするときにお願い事はしないとの区別とでもいうのでしょうか、どう折り合いをつけるのかが、何だかモヤモヤしてよく分からなかったのです。

いえ、今でもやっぱり分かってないのですが、どうも、こう、お願い事をしないことと加持祈祷をすることとの折り合いをモヤモヤ考えること自体が見当違いなのかも知れない思いました。

宇賀神先生のようにただただ素直に、純粋な心で、生かされていることやご縁に対する感謝の気持ちでもって神様佛様にお会いすること。

ごちゃごちゃ考えず、ただそれだけでいいのだ、と。

それこそが大事なことなのだと。

その素直さや純粋さが、神様佛様が一番お喜びになるところなのかも知れません。

宇賀神先生のようにありたいと、心から思います。

合掌

声が聞こえることと寂しさの矛盾

大好きな宇賀神先生の声が聞きたくて、その存在を感じたくて、自分の霊感の感度を上げようとしています。

宇賀神先生に関してだけでいいので最高のミディアムになれますように、と日々願っている、とお伝えしました。

その一心の願いが届くのか、少しずつ、少しずつ、何度か、宇賀神先生の気持ちを感じたり、存在を感じたりするようになってきています。

声を聞くと言っても色々なパターンがあります。

例えば、

①明確に声とともに言葉を聞くとき。

このパターンが一番生前の宇賀神先生のカラーに近いものがあります。

まだまだ精緻な感覚を得ているわけではありませんので、私が聞く言葉は短いものが多いですけれど。

別のパターンは、

②先生の考えが言葉を介さずに直接脳の中に流れ込んでくるとき。

言葉を介さずに、もう既に理解した状態になります。

宇賀神先生の思考を直接自分の思考として理解し感じていると言った、そんな風な感じです。

また別のパターンは、

③一足飛びに私の感情が宇賀神先生の言葉を聞いた後の状態になるときです。

何だか訳がわからないけど涙が出たりして、ああきっとこれは宇賀神先生がこう言ってくれたから、それを理解した私はこんな感情を抱いているんだなという風に思います。

①言葉を聞いて、②それを理解して、③こう思った、という段階を一足飛びにしてしまったという感じです。

と、自分で思っているだけですけどね。

明確に声とともに言葉を聞くときも、耳で聞くのではなく、直接脳で聞く感じですから。

見るときもそうですけど、身体の感覚器官を使って見たり聞いたりしているのではなく、脳で直接見たり聞いたりしているような。

すべてすべて、私の頭と心の中の話です。

そしてまだ、複雑な会話まではできていません。

ただ、聞いた言葉の整合性があることが後から分かったりしますと、ああ、本当に声が聞こえていたのかなと嬉しくなります。

そして同時に必ず、とてつもなく寂しくもなります。

矛盾してますけれど。

どうあっても人はやはり生きて側にいてくれて、体温の温かさを感じながら話がしたいのでしょうね。

他愛もない話でいいから。

日がたてばたつほど、会いたいと、より一層思う今日この頃です。

合掌

お経の経は「たての糸」 その2

さて、宇賀神先生が教えてくださった

「どうして(僧侶は)毎日お経を読むのか」

ですが。

ひとつには、佛様が喜ばれるご挨拶になるからだそうです。

お経という単語の「経」という字は、「たて糸」を表します。

経度と緯度の「経」と言えば分かりやすいかと思います。

芥川龍之介さんの「蜘蛛の糸」のように、佛様の国から地上の私たちに垂らされた一本の糸です。

お経とは佛様の言葉で書かれた佛様の智慧なのだそうです。

それを読むことはつまり、

佛様にご挨拶することであり、

佛様を称えることであり、

佛様を喜ばせることであり、

結果として佛様に繋がることになります。

以前の投稿で、「信仰とは、佛様に惚れて惚れて惚れぬくこと。」だと、宇賀神先生に教わったとお伝えしました。

その惚れた相手の佛様の言葉で書かれた経典を読むことで、佛様を称えることによって、佛様を喜ばせたいのです。

毎日好きな人に「おはよう」「愛してる」と言うように、佛様に毎日ご挨拶したいのです。

そうやって毎日佛様にご挨拶することで佛様と繋がれるからこそ、お経はありがたいそうです。

経典そのものが、佛様からの賜りものだと考えられています。

ですので、私たちはお経本を畳などの床に直に置きません。

私たちの足で踏む床に佛様からのいただき物を直に置くことは失礼にあたるので、床に正座して机がないときでも、お経本は必ず布などを敷いた上に置くようにと教わりました。

お経は天から降りてきた一本の糸ですので、佛様に惚れている私たちは蜘蛛の糸に出てくる犍陀多(かんだた)のように、それにすがるのでしょうか。

佛様と繋がりたくて。

好きな人と手をつなぎたいように。

お経の経は「たての糸」。

これが宇賀神先生に教わったことです。

また、もうひとつには、宇賀神先生はあるとき

「お経を読むことを『お勤め』って言うだろ?だから、お経を読むのは坊主の仕事(勤め)なんだよ。」

ともおっしゃいました。

たまごが先かひよこが先か分からないような、答えになっているようななっていないような答えでしたが、なんだか腑に落ちてしまいました。

なぜ読まなければならないのかは分からなくても、あるいはそんなことをごちゃごちゃ考える前に、とりあえずお仕事なんだから毎日読む。

毎日読んでいると、もしかしたら分かることがあるかも知れないし、ないかも知れない。

でも、そんなことを考えなくてもいいから、まずはお仕事なのだから、とりあえず毎日読むものなのだ。

宇賀神先生の単純な答えを聞いて、毎日読んでみよう、そう思いました。

そんな風に宇賀神先生に教わって何年もたった今、やっぱり私はお経を読んでいます。

この頃はどうしても泣いてしまって読めない日や、休んでしまう日もありますが、なるべく毎日読んでいます。

今の私にとってお経を読むことは、好きな人と手をつないでいる時間なので、つまりは佛様と手をつないでいるときであり、宇賀神先生と手をつないでいるときでもあります。

もちろん、読んでないときでも繋がっているのですが、その存在をより色濃く感じられる幸せな時間となっています。

つい先日、家に帰らない日が続き、出先でお経が読めない日が続きました。

久しぶりに家に帰って佛壇の前にすわり、お経本を手に取った瞬間、

「家(あるべき場所)に還ってきた。」

と思いました。

先日お伝えした、

「瞑想っていうのはね、家に帰るようなものなんだ。」

という本の一節が、頭をよぎりました。

お経も、瞑想も、みんな同じところに繋がっているのだと思いました。

信仰しているものによってそれぞれ違う呼び方をするのでしょうけれど、家、阿字のふるさと、兜率天、天国、宇宙などという、還るべき場所につながっているのだと思いました。

あれ、ちょっと言い方が違うかな?

「私たちは本当はいつもそこに繋がっているのに、忘れがちなそのことを、お経を読んだり瞑想したりすることで思い出したいのだ。」

と言う方がしっくりくるかな?

こんな幸せな感覚を味わえることが仕事だなんて、なんていい身分なんでしょう。

明日もまた、おはようって言って、愛してるって言って、手をつなごう。

合掌

お経の経は「たての糸」 その1

「どうしてお坊さんは毎日お経を読むの?」

と、宇賀神先生に尋ねたことがあります。

「どうして私たち僧侶は毎日読まなければならないの?」

と。

何だか、どうして毎日読まなければならないかをちゃんと理解しないことには読む気になれなかったんですよね。

すみません、罰当たりな尼僧のはしくれ(の、はしくれ)で。

ですが、約2650年前、佛教の始まりの始まりのお釈迦さまの時代には、今現在の日本で読まれているお経は存在していなかったのです。

私は真言宗で出家させていただき、お大師さんのことは心の底から敬愛して信仰しています。

そのお大師さんが唐の国から命懸けで持って帰ってこられた経典を、今現在の私たちが読ませていただいているとも知っています。

ですが、この経典がお釈迦さまの時代には無かったものだとも、知っています。

なんなら、日本中の古典的宗派のお経を網羅した、何百ページにも渡る辞書のように分厚い経典の辞典のような本を半ば眠りに落ちながら読破したこともありますが、各宗派でそれぞれ言ってることが微妙に違いました。

まして、こんなこと言うのも何ですが、そこに載っていた真言宗の経典なんか「一体どこから急に降って湧いてきたの?」と言いたくなるような、他宗派からは全くかけ離れた突拍子もないものでした。

いえ、私はお大師さんを敬愛しているのですよ、心の底から。

心底惚れ込んでいると言ってもいいくらいです。

それでも、真言宗の経典のまったく毛色の違う様子には、違和感を覚えるくらいでした。

そんな違和感すら覚えるような経典も、日本中の宗派のバラバラの経典も、元はお釈迦さまの始められた佛教が出発点のはずで、なのに今はこんなに違っていて。

もちろん佛教そのものが小乗佛教から大乗佛教に変わった後に日本に伝わっていますので、他の東南アジアの国に伝わる小乗佛教とも全く違うでしょうし。

たしかに、お釈迦さまの時代くらいには、短い偈のようなものを唱えていたとは聞いたことがあります。(間違っていたらごめんなさい。)

お釈迦さまのおっしゃったことを、短い偈のような形にして皆で唱えていたとかいないとか。

スッタニパータとか、そんな風な偈を。

なのに、こんなにも好き勝手に進化?してしまった経典、お経を、どうして私たち僧侶は毎日読まなければならないのか?

素朴に、疑問に思っていました。

自分自身で納得しないことにはどうにもなかなか先に進めない性格の私は、宇賀神先生に何度か尋ねたことがありました。

「どうしてお坊さんは(尼僧さんは)毎日お経を読まないといけないの?」

と。

それに対する宇賀神先生のお答えは、単純にして明快なものでした。

さて、その宇賀神先生のお答えとは。

この続きは次回に。

すみません、特に最近は持続力も乏しく、以前のような長い文章が書けなくなってきました。

書きたい気持ちはたくさんたくさんあるものの、体力に合わせてちょっとずつ進めたいと思います。

何やかやの用事が立て込んでて時間の調整がうまくできないことも、あります。

ごめんなさい。

また明日、よろしくお願いします。

合掌

家に還る

「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る 阿字のふるさと」

お大師さん(弘法大師 空海様)を知る方達にとりましては有名な歌です。

一説には、お大師さんが後継者にとまで思われていたお弟子さんを先に亡くされた時に詠まれた歌なのだとか、いえそれは後の通説で事実は違うとか、言われています。

阿字(あじ)とは大日如来様のことで、阿字のふるさととは佛様のおられる世界であり、つまりは命の根源、宇宙の根源そのものを指します。

私たちの命はそのふるさとからこの地球上の世界に生まれ落ちて、死ぬとまた佛様のおられる魂のふるさとに帰るだけ。

だから何も怖れることはない、ということでしょうか。

宇賀神先生はこの歌がお好きでした。

私も好きです。

いいなぁ、と思います。

たしかに死というものに対する本能的な恐怖心が少し薄らぐような気がいたします。

だってふるさとに還るだけですから。

また、少し話は変って、ずいぶんと以前に瞑想に関する本を読んだときにそこに書かれていたことですが、あるとき「瞑想とは?」ということを話し合った会議があったそうです。

多分、瞑想中にはどんなことを思うのかとか考えないようにするのかとか、定義とか具体的な方法とか、何が正しい瞑想なのかとか、それぞれの意見を出し合っていたのだと思います。

ところがその会議で誰かがひと言、

「瞑想っていうのはね、家に帰るようなものなんだ。」

と言われて、そこに居た全員が同意したそうです。

すうっと、腑に落ちる思いがいたします。

家に帰る、それでいいんだ、と。

ひとくちに瞑想と言いましても色々な方法がありますものね。

何だか瞑想が心の健康にもいいらしいと世間で言われていて、瞑想ってどういうふうにするの?みたいに尋ねられたこともあります。

私だって何が正しい瞑想かなんて知りません。

あるいは、「正しい」瞑想法なんてないのかも。

でも方法論より、目を瞑って心静かになれたとき、「ああ、家に帰ってきた」と思えたのなら、それでいいのかもしれませんね。

そうしたら、もしかしたらその先は「ふるさとに帰ってきた」ことと同じで、佛様の世界に通じていて、だからお寺さんでは瞑想するのかもしれません。

ちなみに、宇賀神先生の瞑想法は特殊でした。

どんな風なのかは勉強会に参加なさった方のみぞ知る、ですけれど。

ただ、目を瞑っていてもいなくても、先生はいつでも「お家にいる安心感」のある人でした。

だからいつでも神様や佛様と繋がっていられたのかな?

そんな境地に、なってみたいものです。

合掌