胡蝶の夢

「胡蝶の夢」という荘子の詩があります。

学校で習った中国の古典文学で、私は荘子の持つ幻想的な世界観が好きでした。

「胡蝶の夢」の詩のなかで、荘周(登場人物の名です)は蝶になった夢を見ました。

その夢があまりにもリアルで、夢から目が覚めたときにどちらが現実でどちらが夢だか分からない、というのです。

夢の中の蝶であった自分が現実で、今の荘周である自分が蝶の夢の中なのではないだろうかと思った、と。

その感覚は、宇賀神先生が佛様の国に旅立たれてから2年たった今でも感じる感覚に似ています。

宇賀神先生の生きていらしたあの時が現実で、今が夢の中なのではないだろうか。

それならばちょっと悪夢みたいだから、早く目が覚めてほしい。

あるいは、生きていらしたあの時は夢でしかなく、今は・・・今は何?

宇賀神先生ご自身は、よく明晰夢をご覧になられました。

寝ているときの夢の中で、自分は夢を見ているという自覚があるのだそうです。

そして夢の中のストーリーを自分の思う通りに展開させられるとおっしゃっていました。

たまに思いがけず悪い夢を見てしまったときは、

「かたきを取ってくる!」

と、もう一度寝なおして、その後自分の思い通りの結末を迎えられる夢を見ておられました。

私はいいなぁ、といつも羨ましくその話をお聞きしていました。

どうしたらそんな風に夢をコントロールできるんだろう。

人間は誰でも毎晩夢を見ていて、「私は夢を見ていない」と思っても、本当はただ覚えていないだけだそうです。

私も布団に入って横になったらあっという間に眠りに落ちて、夢なんてほどんと覚えていません。

ただ、最近はちょっと夢を覚えていることもありますが、あまり楽しい夢ではないような気がいたします。

また、子供の頃の宇賀神先生は学習困難児で、多分ですが今で言うところの発達障害を持っておられ、あろうことか担任の先生には「異常児」の烙印を押されていました。

その頃よく学校の先生に言われていた言葉が、

「宇賀神!夢は寝てから見ろ!」

だそうです。

学校の教科書の表紙に行ったこともないアメリカのハイウェイの写真が載っていて、それをぼーっと眺めているとそのハイウェイの景色が展開していくのだそうです。

自分がまるで車に乗ってそのハイウェイを進んでいるかのように、その先に現れてくる建物の鎧戸のペンキが剥がれて風に揺れている様まで見えてきたんだ、と。

それを「教室にいて目を開けながら眼前に見ていた」とおっしゃるのですから、そりゃあ学校の先生に「夢は寝てから見ろ」って言われてしまいますね。

目を開けたまま寝ているみたいです。

荘子ほど高尚な詩で表したわけではありませんが、私は宇賀神先生のその夢見る力と荘子の「胡蝶の夢」の境地は、どこか相通じるものがあると思っています。

そしてその夢見の力は、その先の霊視や霊感と言った能力にも結びついていくと思っています。

どうせ今の現実がどこか現実味を持たず夢のようにしか感じられないのなら、せめてもっと夢見る力を持てないものだろうか、と願っています。

そうしたら、宇賀神先生が神様や佛様、亡くなった方達ともお話しなさっていたように、私も宇賀神先生ともっとたくさんお話しできるようになるかもしれない。

いえ、その前に、せめて夢の中で宇賀神先生にお会いしたい。

どうせすべてが夢でしかないのならば、せめて。

合掌

あの世からの冗談

今日はどんなブログ記事を書こうかと思いながら前回のブログ「死後の世界」を読み返しておりましたら、思いもよらない宇賀神先生のお言葉が聞こえてきました。

前回記事の、「これが死後の世界であると『確信とも言える感覚』『本能で知っていたというような感覚』で感じました」というくだりを読んでいたときです。

宇賀神先生いわく、

「でもコロンブスは1492年に発見したアメリカ大陸を『ここがインドだ!』と確信したのに、間違えてたんだよ。

命がけの大いなる勘違いだったんだ。

だから昔はアメリカ先住民のことをインディアン(インド人)て呼んでたはずだろ。」

と。

つまり、命をかけて大航海をしたコロンブスの命がけの確信が勘違いだったように、私の本能の確信ももしかしたらアテにならないかもよ?とおっしゃったのでした。

私は思わず、

「えっ、マジで!?」

とびっくりして言いました。

もちろんそのコロンブスの勘違いの話は知っていますが、それを持ち出してきて私のも同じように大いなる勘違いかも、って言うなんて、本当にそうなの?

私の「本能の確信」も、実は単なる大いなる勘違いだったの!?

ぎえーーー、マジですかぁあー?(もう公然とブログに書いちゃったよー!)

すると、びっくりした私を見て笑っておられる宇賀神先生を感じました。

あっ・・・からかわれたの?

と、もう一度びっくり。

いつもはあんなに私を包み込むような優しさしか感じない宇賀神先生の存在ですのに、今日は一瞬私をからかって面白がっておられるような気がしました。

あの世から冗談を言ってからかわれるだなんて。

こんなこともあるのかと、目をぱちくりさせて、しばし呆然とした後、にやにやしてしまいました。

宇賀神先生は生前、よく神様や佛様、あるいは亡くなった方とも話しをしておられました。

それは何も特別なことではなく、日常茶飯事の当たり前のことのように話をしておられました。

ただ、例えば自分は神様のお言葉をお聞きしたと思っていても、証明できるわけでもなく、本当なのかただの思い込みなのかは紙一重だったりするわけです。

本当に聞いたのか自分の欲望や思い込みで聞いたのか、自分自身を含め誰にも分からないから、だからこそ「薄氷を踏むように」慎重にしていくのですが。

ですがそんななかでも、例えば神様から思わぬことを言われたとき、自分が想像だにしなかったことを神様から言われたとき、それは思い込みでなく本当にお言葉が届いた可能性が高い、と宇賀神先生はおっしゃっていました。

私は「本能で知っていた感覚」とまで確信していたことを、まさかコロンブスの例を持ち出して大いなる勘違いかもよだなんて言われるなんて、思ってもみませんでした。

ましてや、そうやってからかっておいて、びっくりした私を見て笑っておられる宇賀神先生の楽しそうなお心を感じるだなんて。

自分でも思ってもみなかったことですから、これは本当に宇賀神先生のからかわれるお言葉を聞いたのかも。

(そしてもちろんこれも大いなる勘違いでありませんように!)

私は、めちゃくちゃ嬉しくなりました。

今日はまたひとつ、宇賀神先生のことを感じることができたよ。

嬉しかったぁー・・・。

しかも佛様の国に行ってもお茶目さを忘れないなんて!

さすが宇賀神先生。

また、いつでもそうやって私に話しかけて。

からかってくれてもいいから、楽しくそばにいて。

幸せに笑っていて。

いつでも声を聞いて、宇賀神先生のことを感じていたいよ。

ああ、今日はちょっと楽しい気分で寝られそう。

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

宇賀神先生。

合掌

死後の世界

私は小さい頃は死ぬことが怖かったです。

死ぬ瞬間はものすごく苦しいの?、死んだらどうなるの?、何も無くなるの?、何も無くなるってどんな感じ?、真っ暗?・・・という、誰もが死に対して持つであろう漠然とした恐怖がありました。

子供のときは、大人になった今よりも死に対する恐怖は強いのかなと思います。

やっぱりこの世に生まれて生きた年数がまだまだ少なくて、この先が長くある若い生命だからこそでしょうか。

もちろん大人になった今でも死ぬのが怖くないと言えば嘘になります。

ですが、少なくとも子供のときよりはその恐怖は薄らいでいるような気がいたします。

というのも、あるとき私はこれが死後の世界だと知った世界があったのです。

その死後の世界、死後の境地は言葉で表現するとすれば、それはとても幸せで、温かく優しい光に溢れた、愛と赦しの世界でした。

ちょっとキリスト教的な表現かも知れませんが、本当に「愛と赦し」という表現がぴったりの世界でした。

何を赦されるかと言いますと、私の全存在をすべてありのまま赦される、無条件に丸ごと受け入れてすべて赦してもらえる、そんな境地でした。

その境地には、宇賀神先生と行った四国八十八か所の二十一番札所の太龍寺さんで出会いました、

以前にもこのブログでその太龍寺さんでのことを書いたと思うのですが、ちょっと余りにも久しぶりのブログ稼働でどの記事だったかすぐに思い出せません。

たしかその記事では、私が太龍寺さんで初めて佛様という存在に出会ったことを書いたと思います。

佛様といいますか、多分、お大師さん、つまり弘法大師空海様でいらしたと思っています。

太龍寺さんのお大師堂でお参りさせていだたいたとき、突然、何の前触れもなく涙がとめどもなく流れ出して止まらなくなりました。

それと同時に、それまでに感じたこともないような圧倒的で怒涛のような幸福感に包まれたのでした。

宇賀神先生は、

「心で佛様と相まみえたんだね。」

とおっしゃいました。

私は宇賀神先生のお言葉に、そうか、これが佛様にお会いするということなのかと嬉しく思い、またそのとき同時に、何故かは分かりませんが、これは私が死んだ後に至る世界なんだと思いました。

それは確信とも言える感覚でした。

本能で知っていた感覚、とでも言うのでしょうか。

誰かにあらかじめ教わっていたわけではありませんでしたが、例えば赤ん坊が母親のおっぱいに触れたときに誰に教わったのでなくとも母乳を飲もうとするように、既に本能で知っていたというような感覚でした。

自分でも不思議でした。

そのとき以来、死への恐怖が少し薄らぎました。

死んだらあの幸せな光の世界に行けるのなら、余り怖くはないかな、と。

子供の頃に想像して怖かったような、真っ暗で不気味な世界ではありませんでした。

残念ながら死ぬまでの現世の老いや病気の苦しみは無くなるわけではありませんが、それでも、死んだ後のことは怖くないのだ、と思えました。

そう言えば、臨死体験をした方達のドキュメンタリー番組を見たことがありますが、その番組の中で、一度死の状態になり生き返られた方が、

「あの世にいたとき、こちらの世界に戻りたくないと思った。」

とおっしゃっていました。

「死んだ後の世界があまりにも幸せ過ぎて、戻りたく(生き返りたく)ないと思った。」

と。

私が感じた死後の世界と同じだと思い、嬉しかったです。

あの感覚は間違いではなかったのかと、嬉しかったです。

光に溢れた、愛と赦しの幸福の世界。

誰かに証明できるわけではありませんが、私の心が確信している死後の世界。

宇賀神先生も今そんな境地におられるのかと、そう信じることでいくらか心救われております。

合掌

佛様の国での誕生日

宇賀神先生は以前、勉強会で

「命日は佛様の国での誕生日なんだよ。」

と教えてくださいました。

ですので、本来はめでたい日なんだ、と?

今年の宇賀神先生のご命日には、有難いことにもとの会員さん達がそれぞれご自宅で宇賀神先生のためにお祈りくださったようです。

その日はたしかに、いつにも増して宇賀神先生のための献杯の思いが先生に強く届いたのでしょうか、なんだかうきうきと忙しそうにあちらの盃、こちらの盃に呼ばれては飲みに出かけられている宇賀神先生のご様子が心に届きました。

いや、こちらの世界ではみな宇賀神先生がいらっしゃらなくなったことを悲しんでいるのですよ、と言いたかったのですが、それでも伝わってくる宇賀神先生のご様子は、なんだか嬉しそう、でした。

どこまで行っても、幸せな宇賀神先生。

佛様の国に行ってまでも、幸せなのですねぇ。

よかったねぇ。

でもさ、金子みすゞさんの詩、「大漁」を素晴らしい感性だと私に教えてくださったのは宇賀神先生だったんですけどね。

朝焼け小焼けだ

大漁だ。

大羽鰯の

大漁だ。

濱は祭りの

やうだけど

海のなかでは

何萬の

鰯のとむらひ

するだろう。

(金子みすゞ 「大漁」)

宇賀神先生は佛様の国でお誕生日のお祝いのお酒がいっぱい届いて嬉しかったんだろうけどさ、海のなかに残された私は悲しかったんだよ。

知ってた?

それに、家では可愛いお嫁ちゃん(自分で言っておきます)が毎日ちゃあんとお酒をお供えしてるのに、やっぱり楽しい飲み友達と飲むお酒は嬉しいかね?

まあ、いいや。

いいですよ。

宇賀神先生がうきうきと楽しそうでしたから。

いつも泣きながらお供えしてごめんね。

私の悲しい心よりは愛しく思う心が、お供えとともに届きますように。

合掌

前に進むことに罪悪感を抱く

2年が経ちました。

宇賀神先生が阿字のふるさとに帰られてから。

もう2年。

まだ2年。

長いのか短いのかよく分かりません。

少なくとも、私はいまだに毎日のように宇賀神先生のことが恋しくて泣いています。

しばらく前にふと見たドラマのセリフが心に残っています。

「愛する者を亡くした人は、立ち直ること、前に進むことに対して罪悪感を抱く」

と。

そうなのかも知れない、と思いました。

置いていけない、置いていきたくない、と思うのでしょう。

過去に。

大事な人を過去に置いていきたくないから、前に進みたくないと思うのです。

私の祖父は、太平洋戦争中フィリピンに出征しました。

その祖父とは本当は血が繋がっていないということを20歳になってから教わったのですが、それを知っても私にとりましては何も変わらず大事な祖父です。

派兵された先のフィリピンは激戦区だったはずだよ、と宇賀神先生は教えてくださいました。

たしかに、「バターン半島死の行軍」という言葉を初めて聞いたのは、その祖父の口からでした。

私が中学生の時、夏休みの宿題で祖父の戦争体験をインタビューして、まとめたものを提出しました。

その時どんな様子だったかと色々インタビューしたのですが、話の途中で祖父がクシャッと顔を歪め、変な表情をしました。

「ついさっきまで話していた友の屍を乗り越えていくんやで。」

と祖父が言ったときだったと記憶しています。

とても厳しく、小さい頃はちょっぴり怖いと思っていた祖父でしたし、そんな祖父の何となく変な表情が何を意味するのか、当時中学生の私には分かりませんでした。

バカな私。

おじいちゃんは、泣きそうになるのをこらえていたんだよ。

私が中学生のときでしたから、戦後40年以上経っていたはずです。

それなのに、祖父はその時のことを思い出すと、涙が出そうになるのをこらえないといけないのでした。

私がそう気づいたのは、ずいぶん経ってから、もしかしたら大人になってからでした。

なんて能天気な中学生だったのでしょうね。

ごめんね、おじいちゃん。

今になって、その時の祖父の気持ちが少し分かるような気がいたします。

さっきまで一緒にいた人の死を置いて、乗り越えて、前に進むというこの世の地獄のような苦しみを。

もちろん祖父の場合は銃撃戦のまっただ中ですから、その苦しみは私のとは比べ物にならないほど凄惨なものだったでしょう。

前に進まないと、あるいは前に進んでさえ、地獄。

ただ、もしかしたら、40年以上経っていたその時でも、祖父はその屍を乗り越えた戦友のことを、心の中では胸に抱いて泣いていたのでしょうか。

私の心もいまだに、宇賀神先生の亡骸の横にうずくまっています。

宇賀神先生のことを抱きしめて泣いています。

今はまだそれでいいと思っています。

もしかしたらこの先私が死ぬまでそうかも知れませんが、それはそれで仕方がないと思っています。

だって銃撃戦の最中じゃないですし。

うずくまっていても、撃たれるわけじゃないから。

好きなだけ、好きな人のそばにいたい。

きれいな花が咲いていたら立ち止まってそれを愛でていたいように、私は宇賀神先生のそばに立ち止まっていたいのです。

宇賀神先生の人生を、愛でて、抱きしめていたい。

愛している。

今でも変わらず。

いえ、時がたっても、尚一層深く。

宇賀神先生の人生というきれいな花をずっと愛でていることを、私は許されたのだ。

合掌

いつもいつも探している

昨日はなぜかとても不安な一日でした。

前回お話ししたように、春の氣とともに宇賀神先生のことを強く感じていると思っていたのに、昨日はなぜかその感覚がとても希薄でした。

どうして?

どこ行ったん?

もう、おらへんの?

それともまた私が分からなくなっただけ?

一日中、不安な気持ちでした。

また、ひとりになってしまったような。

そして夜になり、寝室に行きますと、ふと宇賀神先生がしていらした手袋が目にとまりました。

その手袋を手に取った瞬間、

「あっ・・・やっぱりここにいる。」

涙が溢れてきました。

そしてまた、手袋を持つ私の両手を包み込むような、宇賀神先生の温かい手を感じました。

別に宇賀神先生が手袋になられたわけではありませんが、手袋に触れた瞬間に、「ここにいる」という感覚を取り戻せました。

この感覚はなんだろう、と思います。

見失って、また見つけて。

不安定な、この感覚、この思いは。

いつもいつも、宇賀神先生のことを探している気がします。

どこにおるん?

ちゃんとここにおる?

離れんといてくれてる?

・・・・・・

今朝になり、いつものようにお佛壇に飲み物をお供えするのに宇賀神先生のお写真を見たとき、

「今日は、いると感じられる。」

と思いました。

よかったぁー・・・。

私はこうやって一生、宇賀神先生のことを探し続けるのでしょう。

ずっとそばにいて欲しいあまり、本当にいてくれているのか不安になる、矛盾した私の心よ。

弱くてもろくて、触れた瞬間に泣き崩れ落ちてしまいそうになる、私の心よ。

どうかどうか、見失ったと思って不安になっても、またすぐに見つけられますように。

またすぐに、宇賀神先生が気づかせてくれますように。

鈍感な私にも分かりやすいように、いつもちゃんとその存在をアピールしててよ。

ほんとやで。

合掌

涙のワケ

“All nature seems to enjoy that Spring has come.”

直訳しますと、「すべての自然が春の訪れを楽しんでるようです。」となります。

なんとも無粋な日本語訳で申し訳ありませんが。

これは大正6年生まれの祖母が、女学校の卒業式に英語で答辞を読んだときの冒頭の一文です。

わが祖母ながらすごいなぁと思いました。

昭和生まれの私の中学、高校の卒業式でも英語で答辞だなんて聞かなかったのに、大正生まれの祖母が英語で、ですって。

ハイカラですねぇ。

外を歩くと、春の気配を感じる今日この頃です。

まさに祖母の答辞のように、周りの自然が春の訪れを喜んでいるのを感じます。

春はよく「萌え出づる春」と言われるように、冬を越した草木が伸びはじめたり花がたくさん咲きはじめたりと、命の芽吹きを感じる季節ですね。

それにともない、やはり草木の「氣」という生命力も一番強く感じやすいように思います。

なんと言うか、萌え「出づる」の文字通り、冬の間は内に秘めていた生命力という氣が、外に向かってまさに出てこようとする気配といいますか。

その、溢れ出ようとする氣をとても強く感じます。

本来でしたらそれはとても素晴らしい春の気配なのですが、

今の私にとりましては同時に涙を誘われる氣でもあります。

今までは宇賀神先生がいない寂しさに泣いていました。

もちろん今でも寂しいですし、悲しいです。

ただ、最近はそれと同時に、宇賀神先生と一緒にいる幸せも感じて泣いているのではと思うようになりました。

つまり、宇賀神先生を失った喪失感と宇賀神先生と一緒にいる幸福感を、同時に感じているような気がするのです。

矛盾していますけれど。

前回の山川草木悉有仏と同じことですが、春の氣の中に宇賀神先生を感じて仕方がないのです。

その春の氣が、結構な密度でもって周りに充満していて、なので結構な密度で宇賀神先生に囲まれているような気がして仕方がないのです。

咲いている梅の花の香の中に宇賀神先生を感じて、神社にいる鳥の鳴き声の中に宇賀神先生を感じます。

暖かい日射しにも、プランターの花にも緑の葉の中にも、宇賀神先生を感じます。

その包み込むような存在感に圧倒されて、私は泣きながら道を歩く羽目になるのです。

道行く人に泣き顔を見られたくないからマスクをして歩くのですが、どちらかというとサングラスが必要ですよね。

涙目を見られないためには。

ですがマスクにサングラスでは完全に怪しすぎて銀行強盗でもするのですかと言われそうですし。

悩ましいところです。

冗談はさておき。

春の氣にこんなに泣く羽目になるとは思いませんでした。

外を歩くのもためらわれます。

まあ、でも悲しいだけの涙でなくなったのはありがたいことと思っています。

私にとっての幸せは、今も以前も宇賀神先生と一緒にいること。

その幸せを再び感じられるようになってきたのですから。

少しずつ、少しずつですが。

「ずっと一緒やで。」

今でも毎日、こう話しかけています。

夜寝るときは、宇賀神先生を抱きしめて寝ています。

泣くときは、宇賀神先生を抱きしめて泣いています。

寝ているお布団に宇賀神先生が最後に着ていらした服を置いているのですが、昨日の夜その服を、宇賀神先生の背中を撫でていたときのように撫でると、その私の手に重ねるように置いてくれた宇賀神先生の手を感じました。

温かい手でした。

また泣いてしまって、翌朝に目が土偶のように腫れませんようにと願いながら寝ました。

私はきっと幸せ者なのでしょう。

これからもずっと、宇賀神先生と一緒にいる幸せの涙を流せますように。

合掌

山川草木悉有仏 (あらゆるものの中に見い出す)

つい先日、宇賀神先生の声を聞きたい聞きたいと願っている私に対して、ある人からとてもありがたいアドバイスをいただきました。

この世界の美しさ、空の青さや日の光の明るさ、自然の山の木々の美しさを心から「ああ、美しい」と感じて喜ぶ、その先に宇賀神先生の言葉が聞こえる瞬間があるのではないか、と。

そしてそれはもちろん、私自身がそう感じることで心慰められて心豊かになり、幸せに生きられることを宇賀神先生が望んでおられることでもあるのでは、ともおっしゃいました。

とても嬉しかったですねぇ。

その通りだと思いました。

悲しみでいっぱいの心で宇賀神先生の声を聞きたい聞きたいと願うのではなく、この世界の美しさに心開いている先に、宇賀神先生の心が届く瞬間もあるのかも知れないと、本当にそう思えました。

どうやら、

「宇賀神先生は一所懸命あやのさんに話しかけているんだけど、なかなか言葉を受け取ってもらえないみたい。」

というのが何人かの人達(いわゆる霊感があると言われている人達)の共通認識で、私自身も薄っすらとそう感じていて、多分真実なのかなと思っています。

ただ、

「じゃあ、宇賀神先生が一所懸命話しかけているのは分かるけど、どうやったらちゃんと受け取れるようになるのよー!」

という思いでいっぱいだったのですが、この悲しみでいっぱいの心が、逆に宇賀神先生の言葉を聞き取れなくしてるのかなと思いました。

よく、「悲しみで『閉ざされた』心」という風に表現しますよね。

たしかに、扉が閉ざされたままでは、お届け物も受け取れないよなぁ、と。

玄関先までせっかく届けてくれてても、扉を開けないことには家の中に入ってきませんよね。

でもね、言い訳したいのだけれど、悲しくて悲しくて仕方がないのですよ。

それは、どうしようもないのですよ。

あるいは、言葉で届くときだけでなく、心が直接届くときもあると思い、私自身もブログでそうお伝えしましたが、

「宇賀神先生がよくそうなさっていたように、言葉で明確に(神様や佛様や宇賀神先生と)話をしたい」

と、こだわるあまり、言葉という媒体でなく心やイメージで届いたときに受け取り拒否していたのかな、とも。

もったいない!

せっかく思いを伝えようとしてくれてたのに。

と、こんなことをぐるぐると考えていて、冒頭の人からのアドバイスに触れたときに、ひとつのことを思い出しました。

宇賀神先生が佛様の世界に帰られてから、あれは去年の初夏のことだったか、いつ頃のことだったか、はっきりと覚えていませんけれど。

ある時期、何もかもが宇賀神先生そのものであるかのように感じられたことがありました。

例えば私はいつも出かける際に玄関のドアを閉めるとき、家に向かって

「お家さん、行ってきます。後をよろしくお願いします。」

と心の中で声をかけて出かけます。

いえ、すみません、本人は正常な49歳の常識的社会人のつもりでおりますよ。

ですが、その一時期、私が「お家さん」と呼んでいる家が、家なんだけどイコール宇賀神先生でもあるような気がしてびっくりしたことがあるのです。

それと同様に、いつも乗る車や他もモノも、果ては宇賀神先生と行った近所の公園の風景(事象)や、そこに飛んでいる虫にも、宇賀神先生を感じて戸惑いました。

「こんなにたくさん、あらゆるものが宇賀神先生であるように感じて、どうすればいいのだろう。やっぱり悲しすぎて頭が混乱しているのかな。」

と本当に自分でも訳が分からなかったです。

とりあえず車さんには、

「車さん(イコール宇賀神先生)、今日も守ってね。よろしくね。」

とダッシュボードをなでなでしながら声をかけて運転してましたが。

でも公園で自分が座っているベンチや景色そのものまでもが宇賀神先生って一体・・・と。

悲しみに絶望していた私にとりましては、よく分からない感覚だと戸惑うばかりでした。

あらゆるところに宇賀神先生を感じたいと思い詰めているのかな、と、ぼんやり思っていました。

それでつい先日、冒頭の人のアドバイスをお聞きしてから、しばらくして「あっ・・・。」と気づきました。

もしかしてあれこそが、あの感覚こそが、宇賀神先生からかつて教わった

山川草木悉有仏(さんせんそうぼくしつうぶつ)

ではないかと。

ネットで検索しますと、

山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)

などと、また私の記憶とは少し違うように表記されています。

いい加減な記憶ですみません。

言いたいことは同じで(多分)、世の中のあらゆる物や事象のなかに佛様(あるいは佛性(ぶっしょう))が宿っているということなのですが。

あらゆるものの中に宇賀神先生を感じるということは、あらゆるものの中に佛様となられた宇賀神先生を感じるということで、それはつまり、神様佛様を感じることで、あらゆるものの中に神様佛様がいらっしゃるのと同じで・・・ええっと。

いや、いらっしゃると言っても例えば咲きかけている花のつぼみをこじ開けても、かぐや姫のように佛様が出てくる訳ではなくて、佛様の本質、佛性(ぶっしょう)が花の存在そのものに宿っているので、花がイコール佛様だし。

公園で見るいつもの平和な日常の風景、子供が楽しそうに遊んでいる、向こうに座って休んでいる人がいる、雀が木の枝にいる、そんな風景そのものが佛様だから思わずその風景に手を合わせそうになっていたり。

なので自分が座っている公園のベンチも宇賀神先生だから、そのベンチから立ち上がるのは宇賀神先生から離れるみたいで寂しくて、立ち上がり際にベンチをなでなでして「また来るね。」と声をかけて、「でも宇賀神先生は私と一緒に帰るのよ。だってずっと一緒だから。」と同時に思ったり。

でもベンチの宇賀神先生と、私と一緒に帰る宇賀神先生は分裂したのではなく、ぜんぶ繋がっていて、それに帰り着いた先の家も宇賀神先生だから、と。

何だかそんなような、もう自分でも訳の分からない感覚にみまわれた時期がありました。

自分で、

「可哀そうに。ちょっと頭も混乱してるよね。私はそんなにまでして宇賀神先生を感じたいんだなぁ。」

と、自分自身のことを心の中で慰めていました。

ですが、もしかしたら、その感覚が、その感覚こそが、宇賀神先生の教えてくださった「山川草木悉有仏」なのかも知れない。

きっとそうに違いないと、つい先日、気づきました。

その一時期、私は頭が混乱していたのではなく、山川草木悉有仏であるということを、頭で概念を理解するのではなく、自身の心と身体を通して実際の感覚として感じてられていたのかも知れない、そう思いました。

いえ、もしかしたら激しく間違っているかも知れませんが、もうそういうことにしてしまおうというのが今の私の本音です。

山川草木悉有仏

あらゆるものの中に佛様を見い出す

あらゆるものの中に宇賀神先生を見い出す

そしてそれは

私自身の中にも佛様を見い出す

私自身の中にも宇賀神先生を見い出す

ということは、

だから宇賀神先生とずっと一緒にいられてる!

ということなのだ。

そう思っていいんや!

(結局結論をここへ持ってきたい私。)

何か若干、結論にズレが生じてきている気もいたしますが、とにかくこの「山川草木悉有仏」という気づきは私にとりまして大きな大きな気づきとなりました。

もうすみません、きっと今日のこの記事は支離滅裂な文章になっていますよね。

ひとりで勝手に興奮して書いている気がします。

あっ、でもいいか。

「ひとりで勝手に」じゃなくて宇賀神先生も一緒だから。

(やはり結論はここ。)

いえいえ、真面目な話、あらゆるものの中に佛様は宿っておられて、その佛性を見い出したときの世界の美しさよ。

またあの感覚を思い出して、神様佛様、宇賀神先生に囲まれて繋がって私は生かされているのだと、これから先のどの瞬間もそう思って生きていけますように。

合掌

橋渡し

宇賀神先生は加持祈祷を生業となさっていました。

この場合の加持祈祷とは、真言宗のお作法にのっとり「手に印を結び、口に真言を唱え、心中に佛を加持して」人々の(病気や災難を除くなどの)願いを叶える、ということです。

そしてその下支えともいうべき大事な要素として「氣」の力を重視しておられました。

加持祈祷が本当に効果があるのかどうかを考えるとき、「法力」という単語が頭をかすめる人もいらっしゃるのではないかなと思います。

つまり、ある決まった儀式儀礼をして佛様に祈るわけですが、それが本当に効果があって願いが叶うかどうかは、儀式儀礼をする人間の法力が強いかどうかにかかっているのではないか、と。

ある人が儀式を行ってもあまり効果ははっきりしないけれど、この人がすると何かが具現化することが多い、というような。

法力、もっと俗的な言葉を用いるのなら念力、というような力のことですね。

宇賀神先生ご自身は、その法力や念力というものに強くこだわられて、お若い頃はとくに「力の強さ」を願ってお修行なさっておられたようです。

私はその頃はお会いしていませんが、当時のお話しをお聞きしますと、法の力、念の力、氣の力を求め、身体を鍛えたり膨大な知識を得ようとしたり行法を修したり、弘法大師空海様も山野に入りお修行なさったように、何かこう、目には見えない力を追い求めておられたようです。

求道、というのですかね。

その頃の宇賀神先生を見てみたかった気がします。(その頃の私は多分、幼稚園児くらいの年齢でした。)

果たして求めたものにたどり着かれたのか、まだまだ道半ばと思われていたのか、とにかくやがてたくさんの人様からその力の恩恵にあずかろうと頼りにされて、宇賀神先生は多くのご依頼をいただくようになりました。

そしてなんのツテもなく仙台から大阪に出てこられ、5年もたたずに宗教法人を設立するまでになられて、当時のお力、勢いはさぞやのものだったのでしょうと、想像に難くありません。

そんな宇賀神先生は、やはりその風貌も独特の雰囲気というか、オーラというか、知らない人が宇賀神先生をご覧になられても、「あれ、この人は何かちょっと違うな」と感じ取られるものをお持ちでした。

別に宇賀神先生が尊大で偉そうな態度をとられるとかそういう訳ではないのですが、周りの人は自然と宇賀神先生のちょっと普通とは違うオーラを感じられることが多かったように思います。

そしてそれは同業他社である、加持祈祷を生業となさるお寺さんでもそうでした。

敢えて名前は言いませんが、どちらも優に1200年の歴史のあるとても有名なふたつのお寺さんに、ご縁あってお参りさせていただいたときのことです。

ひとつのお寺のご住職様と、もうひとつのお寺の次期住職様に

「私には特に法力などというものがある訳ではないのですが・・・」

と、同じようなセリフを言われて内心びっくりしたことがありました。

別にそんな深い話をしていたわけではないのです。

もちろん「ご自身に法力があると思われますか?」なんていう愚かな質問をしたわけでもありません。

当時私はご縁のあった神様や佛様のお守りをいただくのをとても楽しみにしていて、そんな際の軽い会話の中で、しかも何故か宇賀神先生にではなくお二人とも私に、ポロッとそんなことをおっしゃったのでした。

多分お二人とも宇賀神先生をご覧になり、何か同業者のような雰囲気と、しかも「法力があるのでは・・・」とまで直感なさったから、あんな風に私におっしゃったのかなと思いました。

私はとても歴史あるお寺さんなのに、と、お二人の謙虚さに心打たれました。

そしてお寺さんを後にしてから、宇賀神先生と二人になったときに尋ねました。

「さっきね、実は住職さんが私にこんなことを言わはって・・・」と。

「それで、やっぱり法力のある・無し、ってあるんかな?」と。

すると宇賀神先生は、

「さあ。でも佛さんへの橋渡しだから。」

とおっしゃいました。

ちょっとびっくりして、でもちょっと腑に落ちました。

びっくりしたのは、宇賀神先生はあれほど法なり念なり氣の力というものを追い求めてこられたはずなのに、先生の答えは法力のある無しはさほど重要ではないとでも言うような口ぶりだったからです。

そして腑に落ちたのは、そのどちらのお寺さんでも、私は佛様に出会えて涙し、このお寺さんの佛様は本当に素晴らしく、また、それはその佛様をお守りしている人達の真心が素晴らしいからだと感じていたからです。

橋渡し、か。

法力のある無しという尺度は置いといて?

と、宇賀神先生のお言葉を印象深く覚えています。

そして今、私自身も、そんな橋渡しに少しでもなれればと思ってお祈りすることがあります。

例えばご病気を患っておられた方で、今でも宇賀神先生のことを慕って心の頼りにしてくださる方がいらっしゃれば、そしてそんな方からご連絡いただくようなことがあれば、毎日のお勤めの際などに宇賀神先生にそっとお願いしています。

およそ法力などと呼べるものは私には無いけれど、もしかしたら宇賀神先生とご縁のあった方達と宇賀神先生への橋渡しなら少しはできるかもと思って。

最近はふたつの嬉しいご報告をいただきました。

お一人は受験の合格と、もうお一人は就職が叶ったことと。

「宇賀神先生と綾野さんのおかげです!」

なんて喜びのメッセージをいただいてしまって、もう、また泣いちゃいますよね。

そんな純粋な人たちの純粋なお心がこの橋(私)を渡って行って、宇賀神先生や神様佛様に届けばいいなと思っています。

いえ、もしかしたら私という橋を渡らなくても、純粋なお心は宇賀神先生や神様佛様に直接届きますよね。

きっと。

宇賀神先生、よかったねぇ。

今でも、宇賀神先生のことを頼りにしてくだる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のことを慕ってくださる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のためにお祈りしてくださる方達がいらっしゃるよ。

ありがたいねぇ。

合掌

10億円の当たりくじ

前回ご紹介した神泉苑で、宇賀神先生の純粋な心にハッとさせられ。

では私はどうしたかと言うと、ですね。

お恥ずかしながら。

そう、それでも、出家とは名ばかりの私は、

「いえいえ、お寺さんから直々のご許可のある願い事のチャンスなんて滅多にないこと。大変、たいへん恐縮ですが、今回ばかりは何卒お許しいただきたく・・・。」

「だってだって、私はこの素晴らしい心を持つこの人を、世界中の博物館に連れて行ってあげたいのです。しかも長時間のフライトは宇賀神先生もしんどいのでフルフラットのシートで寝られる、ファーストクラスの飛行機で。」

「そしてそして、日本国中の氣の強い温泉にも連れて行って、好きなだけ湯治させてあげたいのです。」

「そのためにも、ぜひ宝くじで億のお金が当たりますよう、何卒、なにとぞよろしくお願いいたします・・・!!」

と、お願いしようと固く決心しておりました。

我ながら単純すぎる(かつ欲張りすぎる)願い事だと思いましたが、それ以外の願い事はありませんでした。

というのも、ありがたいことに私はすべて満たされて幸せだと、自分でも思っていたからです。

宇賀神先生が元気で幸せに笑って生きてくれている。

楽しく仕事してくれている。

私の両親も弟家族も皆元気に幸せに生きている。

私も宇賀神先生と一緒に幸せに暮らせている。

雨風をしのげる温かい家と、毎日のご飯と、着るものと、必要なものもすべて与えられている。

本当に、ありがたいほど恵まれた幸せな人生だなぁと思っていました。

あともし足りないものがあるとすれば、ファーストクラスの飛行機に余裕で乗れるくらいの、自由になるお金くらいか、と。

うーん、さすがに罰当たりな欲望ですよねぇ。

しかも宇賀神先生の勉強会で、「願ったことは100%叶えるのは難しいとされているから、願望の120%くらい願ってやっと30%到達くらいの可能性だ(ちょっと正確な数字は忘れてしまいました。すみません。)」と言われた記憶がありまして。

そうか、なら10億円くらい願わないと1億円すら到達しないかもと、10億円お願いすることにしました。

いえ、笑ってバカにしてくださって結構ですよ。

でも私は、本当に宇賀神先生をファーストクラスの飛行機に乗せて、大英博物館や世界中の博物館に連れていきたかったのです。

本気で、このばかばかしいお願いをしようと思っていました。(恥ずかしいから宇賀神先生にも内緒で。)

それで、行きました。

生まれて初めて、善女龍王様をお祀りしている神泉苑へ。

少なからぬご縁を感じ、お会いしたいと思っていた佛様でした。

ゆっくりと善女龍王様にご挨拶させていただいてから寺務所でお守りをお授けいただき、いざ池の橋を渡りに行きました。

思ったより大きいお池に、綺麗な朱色の欄干の丸い橋がかかっていました。

お守りを胸に、この橋を渡るのか、とワクワクしましたね。

橋自体はそんなに長いわけではありませんので、楽しい気分を味わいながらゆっくりと渡りたいなぁと思いました。

そして宇賀神先生に先に行ってもらい、そのすぐ後に続きました。

ちょうど丸い橋の真ん中の一番高いところに来てお願い事をと思った瞬間、目の前の光景に、私はまた文字通りの衝撃を受けました。

「あっ・・・もう、10億円の当たりくじ(人生)に当たってた・・・。」

なんかもう、ばかばかしいくらいめでたい人間だと自分でも思いますが。

目の前の光景を見て、本当に心底、もう既に10億円が当たったような素晴らしい価値のあるものをいただいていたんだということに、今更ながらの衝撃を受けたのでした。

目の前の光景とは、

穏やかな日差しのもと、神聖な場所の神聖なお池に、佛様がいらして、鳥の声が聞こえていて、龍をかたどったお舟が優雅な姿を見せていて、綺麗な朱色の橋の欄干が鮮やかに見えて、そして私のすぐ目の前に大好きな宇賀神先生がいてくれてる。

宇賀神先生が幸せに笑ってくれていて、いつも一緒にいられる。

ここを、この世を天国と言わずして、どこに天国があるのだろう。(佛教徒なら極楽と言うべきか?)

本当に、言葉を失いました。

すぐに、心の中で葛藤が始まりましたねぇ。

「どうしよう・・・。欲しい、くださいと願おうと思ったものはもう既にいただいていましたなんて、もうこれ以上お願いできない?いやいや、でもファーストクラスが・・・。いやいや、でももうもらってるよ・・・。どうしよう。ありがとうございます。本当に、美しい世界です。幸せすぎる人生です。でも宇賀神先生を大英博物館に・・・。」

何という単細胞な葛藤でしょうねぇ。

でも、これが嘘偽りのない、背伸びの無い等身大の私の心です。

恥ずかしくて尼僧のはしくれです、だなんて口が裂けても言えませんね。(言ってる。)

「願ったものは、もう既に与えられていました。」

という言葉をどこかで聞いたことがあります。

それに気づくことが、満ち足りた人生を歩む方法なのだと。

まさにその通りでしたねぇ。

もう既に、願おうとした10億円の当たりくじに、いえそれ以上のものに、当たっていたなんて。

神泉苑の橋の真ん中で、気づかされました。

では、今となっては。

その、私が大好きで大好きで仕方のない宇賀神先生が阿字のふるさとへ旅立たれた今、私はせっかく当たった10億円の当たりくじを失ってしまったのでしょうか?

せっかく、せっかく当たったって、あんなに喜んでたのに?

私はその当たりくじは、失くしたとは思っていません。

宇賀神先生がよく勉強会でおっしゃっていたように、「天の銀行に預けてある」と思っています。

宇賀神先生は功徳を積むことを天の銀行に預けるというように例えておっしゃっていたように思いますが、私は私の当たりくじを天の銀行に預けているのだと思うようにしています。

ちょっぴりやせ我慢も入っているかも知れませんけれど。

そしてこの私の天の貯金は、私が死ぬときにまた返してもらうのです。

私が死んだらまた、宇賀神先生に会えるから。

そのときに最高の当たりくじがまた、私のもとに返ってくるんだ。

それまでちょっと、天に預けておこう。

合掌