観相学(または人相学)という言葉をお聞きになったことはございますか?
そう、人の顔を見て、その人の性格や運勢を判断する学問ですね。
ですが、学問って・・・あれは、占いの一種ではないの?学問だなんて呼べるの?という疑問も浮かび上がります。
たしかに、人相や手相は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のような、ある意味不確かなもののように思われますが、また別の見方では、統計学とでも申しましょうか、「こんな顔の特徴をした人はこんな性格の人が多いですよ」という側面もあるようです。
そして、性格が決まればその人の行動が決まります。
よく言われておりますよね。
「行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人生が変わる。」
と。
例えばつまり、慎重な人はほぼ常に慎重に行動し、そうでない人はいつも勇み足に飛び出します。
慎重な人は、もしかしたら失敗は少ないかもしれないけれど、チャンスを逃すことも多いかも知れません。
でももしもそのチャンスにうまく乗れたら、ミスも少なく大飛躍することもあるのかも。
勇み足の人は、人に先駆けて色々なことを進めていけるけれど、あまり深く考えずポロポロと抜け落ちてしまった失敗部分が、後で大変なことになるかも知れません。
でももしもその勢いが勝れば、まだ誰も行ったことのない世界に行けるのかも知れません。
そして人相見の達人は、その成功するか失敗するかの確率もさらに「氣色」(けしょく)と呼ばれております、顔や身体に現れる氣の色を見て判断なさるようです。
そう考えますと、じつは人相学って、ちょっと奥深いもののように思えますね。
さて、今日の題名に「顔で運命は決まる」と少々強気なことを書きましたが、何を隠そう、宇賀神先生ご自身が「顔で運命が変わった」という人生でございました。
宇賀神先生は今でこそ少しは柔和なお顔をなさって(と私は思って♥)いますが、このお仕事を始められる前、まだ20代の頃は、今とはまるで違うお顔をなさっていました。
その頃の写真を私は以前に一度だけ見たことがございますが、正直に申し上げますと、
「多分この時に出会ってたら、好きになることはなかったかも?」
いえいえ、もっとホントのことを言いますと、
「道ですれ違ってたら、コワくて避けてたかも!」
というようなお顔をなさっていました。
すさんだ心と人生が、そのまま表れているようなお顔なのです。
写真が残っていればよかったのですが、残念ながらちょっと見当たらなくて・・・申し訳ありません。
宇賀神先生は「そんな写真あってもブログに載せないで!」とご自身でおっしゃってましたが。
まあ、いわゆるヤクザさんのような怖~いお顔なのでした。
まるで別人のようです。
それもそのはず、その当時は空手の師範代として毎日何時間も道場で生徒さん達に稽古をつけ、ときに当時お住まいだった仙台の警察機動隊の空手クラブに出稽古まで行っておられるほどの腕っぷしの強さでした。
それだけでなく、街なかでのケンカも日常茶飯事。
道を歩いていて、すれ違いざまにトンッと肩がぶつかりますと、
「おいコラ、気をつけろ!」
「なんだこの野郎!」
と、あっという間にケンカを始めます。
もちろん機動隊の方達に空手を教えておられるくらいですから、負けません。
ときには1週間のうちに27回も街なかでケンカしたんですって。
1日1回以上・・・。
何という荒れた人生だったのでしょうか。
その頃は、いくら空手の師範代をしていたからってそれだけで食べられるわけもなく、職を転々としながらのワーキングプア状態で、思うようにならない人生に腹を立てながら生きておられました。
「俺の人生はこんなはずじゃないのに!」
というような、誰のせいでもない、かと言って自分のせいにすることもできない怒りを、ケンカで晴らしているような毎日でございました。
荒れた心を持ち、空手道場で教えているとは言え人様と殴る蹴るの毎日。
しかも街を歩いては見知らぬ人とケンカをするなんて、現世の世界がまるで修羅界さながらのようですね。
そんなある日、宇賀神先生が道を歩いておりますと、
「お兄さん、」
と、見知らぬ人から声をかけられました。
宇賀神先生は20代後半、
空手を毎日5~6時間なさり、筋肉隆々で胸囲は1メートル20センチ、
薄っぺらなファッションに身をつつみ、
肩で風を切りながら歩いておられました。
声をかけたその人は、さあ、70歳ぐらいだったのでしょうか、
白いあごひげを生やし、
帽子(ハット)をかぶり、
羽織に野袴という、
まるで今の宇賀神先生のような身成りをなさっていたそうです。
声をかけてくださったそのおじいさんは言います。
「お兄さん、ケンカ強いんだ。
でもね、そんな顔して歩いてると、いつかきっと誰かに刺されて死ぬよ。」
(その2につづく。)
合掌