お参りの極意 その2

さて昨日の続きの、神様佛様にお参りするとき、お願いごとはしないという基本があれば、の応用編です。

 

 

これは以前、深江のお稲荷さんに宇賀神先生が言われたお言葉です。

 

「おのこ奮い立て!さらば神も奮い立たん!」

 

 

先生の心願と致しまして、ずっと変わらずあるものは、もっと人々の助けとなる力を得ることです。

ご相談者様の力になれなかったとき、亡くなられ佛様の国へお見送りしたとき、思うような結果を得られなかったとき。

自分の無力さを痛感するときは、やはり多々ございます。

そんな時だったでしょうか、いつもお参りする深江のお稲荷さんから、さっきの言葉をかけていただいたそうです。

宇賀神先生がめげずに自分の道を進むからこそ、神様も後押しできる、と。

まず本人が情熱の炎を燃やし続け、前に進もうとするならば、それが可愛い子供(神様佛様にとりまして人間は子供と同じです)であれば、神様も応援してくださるようです。

助けが欲しいとおねだりするのとはちょっと違ってきます。

 

そして願うことは、できましたら小欲よりは大欲、つまり自分の欲望を満たすためだけでなく、多くの人が幸せになるような願い方をするほうが、神様佛様も応援してくださりやすいようです。

先生の「もっと力が欲しい」だけでは小さな自分の欲です。

ですが、得た力で何をするのか?という「その先」があれば、それは他者のための大きな欲となりえます。

確かにたくさん仕事をしますと自分には報酬としてお金が入ってきます。

素晴らしい成果をあげ、「先生、すごい!」って言ってもらえたら、ちょっと鼻高々でしょう。

でもそれだけではなく、自分が仕事に励むことで沢山の人に貢献できる、神様佛様が喜ばれるような「人々の苦しみを取り去り、幸せにする」ことができる、とそこまで心から願っていると、小欲は大欲に変わります。

 

もちろん「自分の幸せのその先の、他者への貢献」とは、何も偉業だけではありません。

自分が幸せでいて、いつもニコニコと暮らしていて、そうしたらそんな幸せそうな自分を見て家族も嬉しく思ってくれるでしょう。

周りの人達も幸せそうな私の顔を見て、なんだかホッとする、と思ってくださるかも知れません。

これを佛教では和顔施(わがんせ)と言い、立派なお布施です。

なにも偉業を成さずとも、自分自身の在り方だけでも人様に貢献できると思いましたら、「神様や佛様が喜ばれるような欲の持ち方」のハードルは少し下がるような気がします。

 

自分の小さな欲もあってもいい。

もしも欲というものが忌むべきもの、恥ずべきもの、不必要なものであれば、初めから人間には与えられなかったはずです。

必要であったから、神様佛様は欲という感情を人間にも与えてくださった、と思います。

欲の有る無しが問題ではなく、どのような持ち方をするかが大事。

どうせなら、小さな欲とともに、大きな欲までも持ってみませんか?

その方が、神様佛様も応援なさりやすいようですよ。

 

私はお参りさせていただくとき、本当に滅多なことではお願いごとは致しません。

お願いごとをしましたのは、それこそ、先生が脳梗塞で倒れられたときや、家族の大病のときくらいです。

ですがご参考までに?、例えば今の私でしたら、ブログをスタートさせたばかりで、沢山の人に読んでもらえたら嬉しいと思っています。

そんな私がもし敢えて神様佛様にご挨拶するならば、

「お蔭様を持ちまして、パソコンに疎い私もブログをスタートさせることができました。神様佛様の世界のことを伝え、宇賀神先生の話を伝え、1人でも多くの人に”心がフッと軽くなる”と楽しんでいただけましたら、こんなに嬉しいことはありません。素晴らしい機会を与えてくださり、ありがとうございます。精進いたします。」

と申し上げるでしょうか。

 

神様佛様は、全てお見通しです。

わざわざ「これが欲しいです」なんておねだりしなくても、私達が何を願っているかなんて、心の中までバッチリお見通しです。

そしてありがたいことに、私たちをとても温かく広いお心で包んでくださっています。

ですので、お参りしましたときは、「~を叶えてください」とおねだりなど敢えてせずに、「ありがとうございます。お蔭様をもちまして、~に精進しております。幸せです。」とだけ申し上げるのです。

 

そうしてこのことが、「おねだりしない方が願いを叶えてくれるらしい」という打算から抜け出て、神様佛様にいつも心から感謝申し上げられるようになったとき、実は世界一幸せな人になっていたのは”私自身”だと気づくのです。

 

 

因みに、ここにも「世界一幸せ」そうな顔をした人が。

seiyoken
精養軒にて

 

なぜ「ピース」が指3本になっているのかって?

これはピースではなく、「ワイン3杯飲ませてね♥」と山の神(妻)におねだりする、の3なのです。

「お酒は1日1合まで!」と常からキビシーく言っている私は、このときは和顔施など忘れ去り、阿修羅の形相と化すのでした。

 

合掌

 

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ありがとうございます♥

2件のコメント

  1. 和顔施 、初めて知りました。
    ふだんから笑いのたえないわが家ですが、これからも困難?に負けず 明るく楽しく笑顔で過ごしていきたいと思います(*^o^*)

    それにしても 先生 幸せそうですね。
    結局 ワインはどうなったのでしょうか(笑)

    1. ふだんから笑いの絶えないご家庭、素晴らしいですね!
      いつもM君がにこやかでいらっしゃるのもうなづけますー!
      先生のワインですね、えぇ、えぇ、飲みましたとも。( ̄- ̄;)
      先生が若い頃に憧れられた東京の精養軒に初めてお邪魔しましたので。
      お祝いに3杯~!阿修羅はググッとこらえて!

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