ときどき、お参りってどうすればいいのか分からないと尋ねられます。
お手水云々のお作法や、神様なら「一礼・二拍手・一礼」などの拍手の数、佛様ならそのご真言など、色々なお作法はあるでしょうけれど、そのことではなく、心の中の問題についてですね。
どう思って、何を願って、手を合わせればいいのか?と。
答えはシンプルです。
「お礼」
この一言につきます。
神様であっても、佛様であっても、先生と私がお参りするときは、必ずお礼を申し上げます。
初めてお参りさせていただく神様佛様でありましても、
いつもの深江のお稲荷さんでありましても、
「本日ご縁を持ちましてお参りさせていただき、ありがとうございます。」
「お蔭様にて、家族皆、無事に暮らしております。ありがとうございます。」
「お蔭様にて、日本は穏やかで平和な素晴らしい国です。ありがとうございます。」
人生の始まり「無事に生まれてきて」から終わりの「命を全うでき」まで、武術武道と同じで、礼に始まり礼に終わります。
だって、そこにお参りに行けるだけでも、すでに行くだけの元気な身体があり、行くだけの経済力があり、時間があり、ご縁があり、色々に恵まれているからこそ行けるのですから。
また、お祭りの日などはそれにつけ加えまして、
「本日この善き日にお祭りおめでとうございます。皆とても楽し気に喜んでおります。ΟΟ様が弥栄(いやさか)えますよう心よりお祈り申し上げます。」
などとお祝いを申し上げるのもいいですね!
寿ぎ(ことほぎ)といい、神様佛様からの祝福を願うまえに、人間のほうから祝福するのです。
「ありがとう」や「おめでとう」、私たち人間が言ってもらったら嬉しいことは、神様佛様だって嬉しいのです。
お祭りの日に人間がウキウキするのは、神様佛様もウキウキなさっているから。
人々の幸せそうな姿をご覧になって、喜んでくださっているのだと実感しています。
そして、基本的にお願いごとはしません。
宇賀神先生が勉強会で教えてくださったことは、
「神様佛様には請求書ではなく、領収書をお渡しするように」と。
「この願いを叶えてください」という請求書ではなく、「お蔭様を頂戴しました、ありがとうございます」という領収書です。
そうするとどうなるのか?
実は「無欲の大欲(むよくのたいよく)」と言って、何にも要求しない人のほうがかえって願いが叶い、幸せになるのです。(と、宇賀神先生は思っています。)
神様や佛様にとりまして、人間は子供と同じです。
例えば神様を氏神様というとき、そこに住む人は氏”子”と呼びますね。
そして自分の子供が久々に顔を見せに来たと考えたとき、たった5円をお賽銭箱にいれたかなーと思うと、やれお金をください・健康をください・仕事をください・おまけに宝くじにも当ててください!?と、あつかましーくお願いごとを並べるよりも。
「お父さんお母さん、いつもありがとうございます。お蔭様で私は幸せに暮らしています。」と言ってくれたほうが、嬉しいですよね?
そしてこの子がもっと幸せになるように、と素直に願えるのではないでしょうか。
それは神様であっても佛様であっても同じなのだよ、と宇賀神先生はおっしゃいます。
神様佛様に相対するとき、そのように無欲でいたほうが結果的に人生の幸福度合は確実に増します。
とは言え、人間社会の中で暮らす以上、まるで悟りを得た高僧のようにいつも清らかで全くの無欲でいるというのは難しい話です。
お願いはしない、という基本があれば、応用もあります。
そんな場合はどうするのか?の応用編は明日お伝えしたいと思います。
合掌
GWに武蔵御嶽神社と亀戸天神社に行きました。領収書と一緒に請求書もたくさん お渡ししてきてしまいました( ̄◇ ̄;)
無欲の大欲‥‥心に刻みました。
大丈夫です!
神様はM君がとってもいい子なのも、お母様の愛情の深さも、全てお見通しですー!